木村さんは裁判所の権限が大きくなれば、政治の介入のインセンティブが大きくなることを懸念されていますが、裁判所が、国の最高権力機関である内閣や国会の判断を違憲だと喝破し、ある意味国の基本方針を決めるにはやはり強大な力、国民に支えられた民主的な力が必要です。政治が個々の裁判に介入することは厳禁ですが、最高裁裁判官人事を通じて適切に司法府に介入することが、逆に司法府の力を強め、さらに国民の納得度も増すと思います。それは結局内閣や国会を通じた民主的正統制の帰結です。

 今は司法の独立性が強調され、政治からの距離が開きすぎている。そうなると民主的正統制が必然的に弱くなります。なぜ今の司法府が内閣や国会に遠慮しがちなのかというと、民意を背負っているという自信が弱すぎるからです。コメンテーターのように意見するのは簡単ですが、内閣や国会の決定をくつがえして責任ある決定をするには、やはり民意を背負っている自信が必要です。知事、市長のときと今の僕の意見の重みは天と地ほど違いますよ(笑)。

 民主国家では、権力の源泉は最終的には民主的な正統性であり、政治と司法の距離感は近すぎてもダメですが、離れすぎてもダメです。「適切な」距離感を保つための手続き、プロセスを踏むことが政治の役割です。

 僕は、維新案として憲法裁判所の改憲案を出しましたが、それは諮問機関的なものにしました。憲法裁判所で意見が出ても内閣や国会が最終判断する仕組みです。ただし憲法裁判所裁判官の人選には政治が「適切に」介入しますし、常設的な機関で多くの事例を扱うことになります。そして判断を行うための要件もしっかりと定めている。憲法裁判所と名前を付けていますが、その実態は責任ある審議会、専門家会議であり、その意見には国民を納得させる力のある機関としたつもりです。

 名前はどうであれ、一定の力のある憲法判断機関が必要であることには間違いなく、単純な審議会・専門家会議では、内閣・国会の判断を覆し、国民を納得させる力は生まれないと思います。

木村 民主的であればすべてよい、というものでもないですから。立憲主義は、「民主的に決めるべきものと、そうでないものを決めよう」というシステムでもあります。政策判断をする際には民主的な正統性を背景に持つほうがいいですが、立憲主義に適(かな)っているのかどうかの判断は、非民主的な機関が担った方がいいでしょう。

 たとえば、憲法審査会全会一致で選ぶ専門家会議を作っておけば、より高度な憲法解釈を国会として提示できると思います。憲法裁判所の判断とは異なり、専門家会議の意見を与党が無視して押し切るという可能性はあるかもしれませんが、そういう強引な手法をとったときの国民の受け止め方は全然違うはずですよね。

橋下 憲法審査会の全会一致で選ばれた専門家会議なら確かに、納得性は高まりますよね。しかし、全会一致でメンバーを選任できると思います? 今の野党は木村さんを選任しようとするでしょうが、与党はどうでしょう? 与野党の国会議員が全会一致で憲法解釈をする専門家メンバーを選ぶということは、現実の政治を経験してきた僕には、実現不可能な話だと感じます。国会に設置された原発事故調査委員会の委員を選任するのも大変だったようですが、こちらは調査のプロを選べばいいだけなので、なんとか選べたようです。
2018年7月、衆院憲法審査会で国民投票法改正案の趣旨説明を行う自民党の細田博之氏(前列右)。野党の反発で成立は先送りとなった(春名中撮影)
2018年7月、衆院憲法審査会で国民投票法改正案の趣旨説明を行う自民党の細田博之氏(前列右)。野党の反発で成立は先送りとなった(春名中撮影)
 しかし憲法解釈というのは、国会議員の関心の高い憲法改正問題だけでなく、日々の政策の実行性にも大きく影響してくる。違憲と判断されたら政策を実行できなくなりますから。ゆえに誰をメンバーに選ぶかについては、政治家は必死になりますよ。まさにアメリカにおいて最高裁裁判官を誰にするのかと同じです。結局これまで日本の最高裁裁判官がそれほど話題になることもなく選ばれてきたのは、内閣や国会の判断をくつがえして最高裁が国の方針を決めるようなことはしない暗黙の了解があったからでしょう。

 専門家会議のメンバーは意見を出せばそれで仕事は終了ですが、政治家はその意見によって政治家としての生き死にがかかってきます。そして多数決で決めるなら与党寄りの専門家会議になってしまい納得性が弱まる。そうであれば3分の2の多数決で、野党の声も一部きちんと入るプロセスにするかですね。