ただしその専門家会議も非常勤的なものでは納得性は弱くなります。このような会議体は、その意見があまり影響力のないものなら、選ばれ方や組織のあり方についてはそれほどうるさく言われないでしょうが、憲法の解釈を出す専門家会議ならそこで出される意見の影響力は計り知れず、かなりうるさく言われるでしょう。さらに特定問題だけに意見をするものでも納得性は弱くなります。ものすごい数の事例について判断するからこそ、他事例との整合性に悩み、現実的な課題に苦しむことで責任と納得性が生まれます。

 しかし特定テーマについての一意見ということであれば、そのような悩みもなく、自分の持論を言いっ放しにすることができます。僕が経験してきた専門家会議の意見には、そのような無責任な言いっ放しの意見も多くありました。

木村
 次に、住民投票についてお話できればと思います。橋下さんが大阪都構想のとき、「案そのものに賛成することと、住民投票の開催に賛成することは分けて考えている」とおっしゃっていたのが印象的でした。これは憲法改正の国民投票にも言えますか。

橋下 言えると思います。改正案自体に論理的整合性がきちんと取れており、国民投票にかけて賛成の結果となった場合に論理的矛盾が生じないのであれば、国会議員はたとえ改正案に反対であっても、国民投票にかけることまでは賛成しなきゃいけないと思う。

木村 国民投票の発議に賛成したとしても、改正案に反対票を投じることにまったく矛盾がないということですね。

橋下 矛盾はないです。そこは分けて考えるべきだと思います。明らかに法律的ないし論理的におかしいという案でない限りは、できる限り国民に聞いていくのがいいと思います。

木村 私も国民投票については思うところがあります。具体的には、死刑制度を廃止すべきか否かについては、国民投票にかけていい話だと思うのです。賛成派も反対派もそれぞれに傾聴に値する主張をしていますが、国民には議論の内容が知られていません。死刑廃止について発議をすれば、国民的議論をせざるを得なくなるでしょう。

 十分に国民的な議論をしたうえで、死刑廃止が否決されたとすれば、死刑廃止を求める国際世論にたいして、日本の立場を説明する材料になります。もしも可決されれば、個人的に死刑制度存続を望む人であっても、投票結果を受け入れざるを得なくなる。これはやる価値のある国民投票だと思います。

橋下 僕も死刑廃止を定める憲法改正案は、国民投票で決める価値があるテーマだと思います。憲法学者やインテリの多くは、憲法改正の国民投票に懐疑的です。時々の民意の風に左右されるのはおかしいというのが主な理由ですが、これは結局国民を信用していないということ。そのくせ、彼ら彼女らは別の場面では、民意を聞け! という。完全に矛盾しています。成熟した民主国家である日本においては、国の大きな方針について激しい賛否があり二者択一になるような案件については、国民投票で決すべきだと思います。政治家には、何が絶対的に正しいかわからないので国民に決めてもらうという謙虚な姿勢が必要です。 

少し脱線しますが、僕は日米地位協定の不平等さを改めるべきだと思っています。でも改めることができないのは、日本の裁判の仕組みが前近代的で野蛮だとアメリカに思われていることも原因です。