アメリカには死刑を存置している州もありますけど、死刑廃止や死刑の執行を中止している州もあります。特に日本の死刑は絞首刑であり、これは死刑廃止をしている国やアメリカの州からすると物凄く野蛮な刑に感じます。ちょうど我々日本人が、犯罪者に石を投げつけて殺す石打の刑を残虐な刑と感じるのと同じような感覚なのでしょう。

 刑事裁判手続きの仕組みでは、日本において弁護士に取調べの立ち会い権などが認められておらず、極めて前近代的なシステムのように映っているでしょう。ゆえに、アメリカは日本の裁判システムを信用しておらず、日米地位協定によって自国の兵士が日本の裁判システムで裁かれないようにしているのです。日米地位協定の不平等さを正すには、日本の刑事裁判システムを国際標準に近づける必要があります。

 それでも僕は、死刑制度については被害者感情を重視して存置のままでいくべきだというのが持論です。もちろん冤罪で死刑が執行されたら取り返しがつきません。ゆえに、衆人環視のなかで犯罪が行われた場合や映像などの客観的証拠がある場合に限るべきだと考えていますが、無条件に死刑を廃止するのには反対です。しかし国民投票で決しようというなら、国民投票をすること自体は賛成です。

木村
 個人としては提案に反対でも、国民投票にかけること自体は反対しないということですね。死刑廃止の発議については、賛成でも反対でも議論の積み重ねがあるわけで、どちらになってもある程度の正当性があります。国会議員も発議自体に賛成しやすいと思うんです。

 ただ、憲法改正発議をするということは、「可決の可能性を認める」ということです。そうなると「侵略戦争を解禁する」といったヤバいものが出たら、発議そのものに反対しないわけにはいかない。「この案を国民投票に付してはいけない」と考えるケースはありえると思います。

橋下 侵略戦争はそもそも国際法で違法だから、侵略戦争を認めるような憲法改正案は国民投票に付してはいけないということですね。

木村 死刑については、死刑廃止条約を結んでいなければ、国際世論の批判はあるにしても、国際法違反にまではならないので、死刑存置を定める憲法改正案は国民投票に付すことができます。

橋下 国民投票にかける最初の発議のところで、一定の形式審査は必要だと思いますが、明らかに違法な案であったり、明らかに論理矛盾があったりしない限りは、僕は、できる限り国民投票にかけるべきだと思っています。国民投票は、何が絶対的に正しいかが分からないので、最後は国民に決めてもらい、国民の決定が正しいと擬制し、国民に納得してもらうという立憲そのものですからね。

木村 憲法改正の場面では、いわば国民が上司であって、国会議員は上司に決裁を求める立場にあります。ですから「上司に判断させるべきだと思ったものは発議をすべきだ」というのが憲法改正発議のイメージです。
国民投票法案をめぐって国会内で開かれた衆院憲法審査会の幹事懇談会。奥中央は森英介会長=2018年7月
国民投票法案をめぐって国会内で開かれた衆院憲法審査会の幹事懇談会。奥中央は森英介会長=2018年7月
 憲法96条は、憲法改正の条文自体は国民に提案し承認を経なければいけないと規定しています。主権者国民の「承認」が、「拒否権」のことなのか「実質的決定権」のことなのかが議論されていて、権威ある解説書では、「ただの拒否権と見るべきではない」とも書かれているんです。