ささいなことですが、農家の主婦が普段からメークをして台所に立つ、というのは事実ではありません。また、画面では「はじめまして」と言っていますが、本当は初対面ではありません。厳密に言うとこれらも「やらせ」です。これらを私は許される範囲内の「やらせ」だと考えています。テレビ番組はこのような小さな「やらせ」や演出の集合体なのです。

 でも、このような紀行番組で、訪れた家庭の奥さんが作った「伝統料理」なるものが、実は存在しなかった、そもそもこの地域にそのような伝統料理はない、ということになったらどうでしょう。番組の根幹に関わる部分で重要な事実関係を偽ったのだから、決して許されないレベルの「やらせ」もしくはデッチ上げということになります。

 今回の『イッテQ!』で、問題となったラオスの祭りは、まさにこの決して許されないレベルの「やらせ」だったことは間違いなさそうです。バラエティーだから、娯楽だから甘く見る、というのは先に記した通り、考えられません。フィクションかノンフィクションかの二通りしかないのです。バラエティー番組もノンフィクションであり、スタジオでのタレントのガチなパフォーマンスを、カメラで実況するというドキュメンタリーでもあるのです。

 テレビ局のカメラを向けるということ自体が、あるいはテレビ局のスタジオに入れるということ自体が、被写体を日常的な空間ではなくて、非日常的な空間の中へと追いやっている以上、なんの作為もない「真の素のまま」ということはあり得ません。今回のようなデッチ上げは別にしても、常に何らかの演出または作為が加わっていることを差し引いて、テレビの画面は解釈するべきでしょう。
『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑に関して謝罪する大久保好男・日本テレビ社長=2018年11月
『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑に関して謝罪する大久保好男・日本テレビ社長=2018年11月
 私はテレビで言っていることを真に受けるな、メディアリテラシー(情報を読み解く力)を磨け、と若い人には言っています。でも、85歳になる私の母親くらいになると、テレビを盲信しています。「だってテレビで言ってたから」と信頼しきっています。公共の電波を使って放送するには、そういった情報弱者を守るべく高い倫理観が求められているはずです。テレビの情報を疑って見ろ、というのは酷な話であり、全幅の信頼を寄せられる存在であるべきです。

 厳密には「やらせ」のないテレビは存在しない。そう考える私ですが、今回の文春の指摘はテレビ業界で働く者全てに対して、許されざる「やらせ」とは何かを示し、警鐘を鳴らしているように思います。

 いっそのこと『イッテQ!』ほどの番組であれば、自ら検証番組を作り、「われわれはこのようにデッチ上げてしまいました。ごめんなさいスペシャル!」など放送すれば、視聴率も取れるだろうし、贖罪(しょくざい)にもなるのではないでしょうか。