結果的に2000年代以降、バラエティー番組の中で一般人が大きな役割を担う機会は格段に減っていき、ドキュメントバラエティーもお笑い芸人を中心にキャスティングされるようになっている。
 
 『「テレビリアリティ」の時代』を著した大見崇晴は、『ぷらちなロンドンブーツ』(テレビ朝日、1997〜2002年)の変化に着目している。この番組は、浮気をしている(と思われる)女性に対する捜査を、恋人の男性が依頼する「ガサ入れ」コーナーをはじめ、一般人を起用したコーナーで人気を獲得したが、当初から週刊誌などで「やらせ疑惑」が報じられていた。そこで番組は次第に、芸能人たちの心理戦に焦点をあてたゲーム企画に比重を移していった。

 大見が指摘するように、「芸人たちは『お笑い』というゲームのプレーヤーとして自己を演じることに巧みになり、視聴者たちはプレーヤー(を演じる芸人)の心理を、評論家的立場から楽しむというスタンスに移行する」(前掲書、304頁)。この変化こそが『アメトーーク!』(テレビ朝日、2003年~)や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日、1999年~)の成功につながっていく。

 『アメトーーク!』について、お笑い評論家のラリー遠田は近著の中で、「ひな壇芸人」「先輩・後輩ハッキリさせようSP」といった企画を通じて、芸人たちの知られざる「職人的な世界」を視聴者が学んでしまったこと、いわば「ドキュメンタリー」の様相を呈していることが画期的な点であったと考察している。

 したがって、90年代のドキュメントバラエティーに比べると、「ドキュメンタリー」と「バラエティー」は現在、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」――その無双ぶりを社会学者の太田省一は「芸人万能社会」と呼んでいる――に支えられ、より自然で、安全な形で結びついているといえるだろう。
※写真はイメージです(GettyImages)
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 しかし、裏を返せば、冒頭で述べたように、こうして番組のジャンルが融解しているからこそ、バラエティーであるという理由だけで、過剰な演出が免責されることはない。その代わり、そもそもドキュメンタリーだからといって、一切の演出や脚色が許されないわけでもない。

 皮肉なことだが、芸人たちの「空気を読む力」や「ソツのなさ」が卓越しているからこそ、いつしかそれに番組制作者が甘えてしまい、演出という行為につきまとう危うさに対して、感性が鈍ってしまっている恐れはないだろうか。

※参考文献
・高野光平『テレビと動画 ―ネットがテレビを乗り越えるまで』(高野光平、加島卓、飯田豊編著『現代文化への社会学 ―90年代と「いま」を比較する』北樹出版、2018年)
・ラリー遠田『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり ―〈ポスト平成〉のテレビバラエティー論』(イースト新書、2018年)
・大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)
・太田省一『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書、2016年)