ラリー遠田(お笑い評論家、ライター)

 『週刊文春』で報じられた『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)のでっち上げ疑惑が話題になっている。文春(11月15日号)では、番組側が実際には存在しないラオスの「橋祭り」を捏造(ねつぞう)したのではないかと疑問が投げかけられた。

 日本テレビは、これに対し「現地では初めて行われる祭りだったと判明した」と誤りを一部認めるような文書を発表した。その後の文春(11月22日号)には、続報として過去の放送で紹介されたタイの「カリフラワー祭り」も実在しないのではないかという記事が掲載された。日本テレビはこれを受けて謝罪のコメントを発表し、「祭り企画」は当面の間休止することとなった。

 この問題を考えるには、そもそも「やらせ」とは何なのか、ということをはっきりさせなくてはいけない。だが、これがなかなか難しい。テレビ制作者の間でも細かい点について意見が食い違う部分がある上に、制作者と視聴者の間にもかなりの認識のズレがあると思われるからだ。

 私自身は過去にテレビ制作会社でアシスタントディレクター(AD)やディレクターとして番組制作に携わったことがある。その経験も踏まえて、やらせというものをどう考えればいいのか、自分なりの見解を示すことにしたい。

 「やらせ」を辞書で引くと「テレビのドキュメンタリーなどで、事実らしく見せながら、実際には演技されたものであること」(『デジタル大辞泉』より)とある。つまり、事実ではないことを事実であるように誤認させるような行為が、やらせの定義ということになる。
※写真はイメージです(GettyImages)
※写真はイメージです(GettyImages)
 これを現場の感覚に即して分かりやすく言い換えるなら、「0を1にするのがやらせ。1を2や3にするのが演出」ということになる。この定義自体には多くの制作者が同意するのではないかと思う。もともと存在しないものをあるように見せるのは明らかに行き過ぎた行為だが、存在するものを少し加工して面白さや分かりやすさを付け足すのはある程度までなら問題はないと考えられているのだ。

 私はドキュメンタリーの制作に携わっていたこともあるが、実在する人物や実際の事件を題材にするドキュメンタリーですら、取材対象をありのままに撮るだけで番組ができる、ということはまずない。そもそもどういう企画なのか、そのために何をどうやって撮るのか、それをどうやって編集するのか、ということを考えるのが制作者の仕事である。何の意図も演出もなく、ただ撮っただけの映像を並べても、面白い番組にはならない。