藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者)

 日本テレビのバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』で放送されたラオスの「橋祭り」企画をめぐり、週刊文春が報じた「やらせ疑惑」が大きな問題となっている。近年のテレビでは度々、やらせや捏造(ねつぞう)が発覚し問題となっているが、今回は国民的人気番組であるだけに、より大きな騒動となって関心を集めている。

 テレビにおけるやらせや捏造は古くからある。かつてはテレビ朝日『川口浩探検隊シリーズ』(1978~1985年放送)などのように、真剣な探検を装いながらも、多くが「演出」によって彩られていた人気番組は決して少なくない。むろん、視聴者の側も「やらせをやらせ」と理解しつつ、「もしかしたら…」というギリギリのリアリティーを楽しむ。そこにはエンターテインメントへの寛容な感性があったのである。

 フェイクドキュメンタリーやリアリティーショーの魅力は、ドラマでも報道でもなく、それでいて見る者にリアルなハラハラ、ドキドキを感じさせる技術と表現にある。そして、視聴者の側にも当然、それを理解できる寛容さが求められる。作り手と視聴者の「共犯関係」で楽しむフェイクドキュメンタリー、リアリティーショーは今日でも名作、人気作品が世界的に多い。

 しかしながら、日本では近年、メディア業界のコンプライアンス(法令順守)意識の高まりに伴い、そのような表現の問題点が指摘されるようになり、少なくとも『川口浩探検隊』のような作品はもう二度と作られないとさえ言われる。やらせと演出の「境界線」に関する議論が、ニュースになることも多い。

 フェイクや台本、演出がある以上、それをドキュメンタリーや記録映像のように描いてはならない、視聴者に誤解を与えてしまうような表現は許されないという前提は今日、テレビ放送全てに当てはめられる傾向にある。報道と天気予報以外のほとんどのテレビ番組が創作物であるにもかかわらず、だ。

 そうなれば、自ずと「前人未到のジャングル探検」もできないし、「UFOと米軍の密約」や「秘密組織による超能力兵器開発の証拠」も出すことはできなくなる。その結果、テレビ番組の表現にも制約がかかるし、もちろんつまらなくもなる。
2018年11月、東京・渋谷で行われたイベントの後に『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑について謝罪する宮川大輔
2018年11月、東京・渋谷で行われたイベントの後に『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑について謝罪する宮川大輔
 「第三の権力」であるメディアに誠実さを求めるという近年の流れには、筆者も大いに賛同するが、その一方で視聴者がテレビのエンターテインメント性に対して過敏になりすぎていることに違和感を覚える。ここで言う「視聴者」とは、主要な接触メディアがテレビであるという高齢者層ではなく、自ら情報発信する会員制共有サイト(SNS)なども使いつつテレビに接触する層を指す。

 今回の『イッテQ!』やらせ騒動では、民放とはいえ、公共の電波を利用しているテレビが、事実とは異なる表現をしたことに不信感を持つことはやぶさかではない。しかしその一方で、『イッテQ!』の今回の番組作りをひたすら批判し、糾弾する状況に違和感を持っている人は何も筆者だけではあるまい。