「『イッテQ!』は単なるバラエティーでしょう?」。そうした番組本来の位置づけを忘れている人があまりにも多いように感じる。もっと言えば、そもそもバラエティー番組に公正さや正確さを厳密に求める風潮に対しては「エンターテインメントを楽しむことができる知性」の欠如も感じる。

 コンプライアンス意識の高まりも重要であるし、SNSで頑張る「モノを言う視聴者=インディーズ評論家」の存在も悪いわけではない。しかし、『イッテQ!』は誰がどう見てもバラエティー番組である。記録映像や教育ドキュメンタリーのような作りにはなっていない。視聴者も真剣に応援したり、ハラハラ、ドキドキを感じていたとは思うが、最終的にはバラエティーとして楽しんでいたはずである。同じエベレスト登山の番組にしても、『イッテQ!』でお笑い芸人のイモトアヤコが登る時と、「記録映画」で冒険家の植村直己を見る時とでは、視聴者の見方も感じ方も全く違うはずだ。そもそも視聴者だって異なるだろう。

 ただし、『イッテQ!』はバラエティー番組であるが、出演者(挑戦者)たちの「ガチンコ勝負」を標榜(ひょうぼう)している。出された課題に真剣に取り組んでいる出演者たちは、それが何であれ真剣勝負であっただろう。多少の誇大表現やテレビ映えする芸としての「演出」はあったにせよ、挑戦それ自体に嘘があったとは思えない。それは見ている側にも十分に伝わる。その意味では『イッテQ!』という番組自体が「やらせ番組」「捏造番組」とのそしりを受けるほどの騒動とは思えない。

 例えば、格闘技などの試合中継を見ると、「ブラジル最強の男」とか「世界最速のキックを持つ男」などさまざまなうたい文句が登場する。選手の特徴や強さを分かりやすく表現するためのキャッチコピーである。それらは当然、科学的に「ブラジル最強」や「世界最速のキック」を検証したわけではないだろう。しかし、一部の例外を除けば、試合自体は真剣勝負であり、選手も観客もそこに疑いはない。キャッチコピーが正確さを欠いていたり、誇張表現だとしても、試合の真剣勝負をやらせとは思わないことと同義である。

 「橋祭り」が以前からラオスに存在していたイベントであったのかどうか、という一点において、番組自体を「やらせ番組」「捏造番組」であると決めつけて糾弾し、ともすれば番組終了にまで追い込むような風潮は、今後ますますテレビ番組、特にバラエティー番組をつまらなくするのではないか。糾弾する人たちはテレビの将来に何を見ているのか。メディアの信頼性の問題といえばそれまでかもしれないが、バラエティーに求める信頼性とは一体何なのか。出演者の誠実さ以外、少なくとも筆者には思い浮かばない。

 SNS時代の今日、従来であれば発覚しなかったような不正やごまかしも容易に指摘・検証され、発覚してしまう。そういう時代だからこそ、作り手にはより強い慎重さが求められる。視聴率という「甘い汁」に惑わされた日本テレビにも、そういう認識への甘さがあったことは明白だ。しかしながら、視聴者の側にもバラエティー番組をどのように楽しむか、楽しめるのかという、いわば「エンターテインメント・リテラシー(読解力)」が求められる時代になっているとも感じている。

 今回の「橋祭り」の企画が実際にはどのような経緯で成立したかは当事者しか知りようがないが、個人的にはラオスの伝統を蹂躙(じゅうりん)したり、その文化風習を捏造した作りになっているようには思えない。強いて言えば、海外のテレビ番組が、ハロウィーン当夜の渋谷に若者たちがコスプレ姿で殺到して乱痴気騒ぎをする光景を「日本のハロウィーン文化」のように紹介しているケースに近い。これを「日本の文化」とされてしまうのはちょっと違う。日本政府だって「渋谷で大人たちがコスプレをして騒ぐことが日本のハロウィーン文化ですか?」と聞かれれば、きっと「ノー」と答えるだろう。ハロウィーンに対して「日本文化の捏造である」と目くじらを立てて怒る日本人がそんなにいるとも思えない。
ハロウィーンの日の東京・渋谷(ゲッティイメージズ)
ハロウィーンの日の東京・渋谷(ゲッティイメージズ)
 今までバラエティー番組として楽しんでおきながら、急にバラエティーには本来求められていない正確さや客観性の欠陥を発見したら、鬼の首でも取ったかのように「やらせだ、捏造だ」と騒ぎ立てることに何の意味があるのか。視聴者の側も改めて考えてほしい。そこには、ゴシップやスキャンダルを楽しむというエンターテインメント以上の意味を見いだすことはできないはずだ。

 筆者は、今回の『イッテQ!』のいかにもバラエティー番組然とした作り(「筋肉バラエティー」にありがちな鉄骨のセットや巨大なボールの障害物など)を見て、それがラオスに古来伝わる伝統的な祭りであるとは思わなかった。「内輪でやっているゲームでしょ?」程度の感想だ。そもそも伝統的な行事に巨大なボールなど出てくるはずもない。そんなことは誰でも分かるのではないか。