次に教育だ。家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。

 日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。そうならないためにどうするか。

 他にも宗教の問題がある。日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。

 これらは、外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。それならば当然、事前対策を求められる。多くの国が移民問題に揺れているのだから、「移民国家じゃないので対策しません」というのは、あまりにお粗末だ。

 それぞれの自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。

 もうさっさと移民を受け入れていると認めて、横断的に受け入れ政策を担当する省庁、ドイツでいう連邦移民難民庁(BAMF)のような公的機関を用意した方がいいのではないだろうか。移民を認めず社会統合のスタートでつまずいたドイツと、わざわざ同じ道をたどる必要はない。

 「外国人労働者を受け入れるべきか否か」という議論も大事ではあるが、既に「移民」と向き合うべき段階になっているんじゃないかと思う。求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。

 そして最後に言いたい。人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。

 外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。