桜田義孝氏は1996年に初当選した後、落選した時期もあったが当選回数は通算7回。当初、額賀派だったが、無派閥を経て2016年10月に二階派に入会、今年10月の第4次安倍改造内閣で五輪担当相となった。しかし、今や「しどろもどろ答弁」で時の人となった感がある。

 片山さつき氏は、2005年の郵政選挙で衆院議員となったが、09年に落選して翌10年には参院議員にくら替え。無派閥の時期が続いたが、後に二階派に入会し、地方創生担当相の座を射止めた。ところが、就任早々、週刊文春が片山氏の口利き疑惑を報じ、続報で政治資金収支報告書の不備も突かれ、記入漏れなどを約40カ所訂正した。

 ここまで書けば、「なぜ二階派ばかりなのか?」との疑問が生じるのは当然だろう。他党からの人材も「客員会員」として引き抜き、言葉は悪いが「大臣になることも難しかった人材」でさえも大臣ポストに就ける実力者が二階氏なのである。その手腕はまさに「閣僚請負人」の異名にふさわしい。しかし、当の二階氏自身も終始一貫、自民党の中で実力をつけたわけではなく、過去には自民党を飛び出した経歴を持っている。

 二階氏は1983年の当選組だ。初当選後、田中派から竹下派に参加し、小沢一郎氏の側近として、93年の「政治改革」をめぐる政局では、小沢氏とともに自民党を離党して新生党に移った。

 その後、新進党、自由党と党を変えていく中で、「自自公」連立政権から離脱した小沢氏と決別して保守党に加わった。後に熊谷弘元官房長官と保守新党を結成したが、2003年の衆院選で保守新党が4議席と惨敗すると、自民党に吸収され、二階氏自身は10年ぶりに自民党に復党した。

 復党時の二階派は旧保守新党の4人を中心に、衆参計7人の微々たる勢力に過ぎなかった。しかも、09年の衆院選では、二階氏を除く全議員が落選し、衆参3人で伊吹派に合流。二階派は「消滅」の憂き目にあっている。

 しかし、伊吹派会長の伊吹文明元財務相が2012年の衆院選後、衆院議長に選出されると、二階氏は後任会長となり、再び派閥の領袖(りょうしゅう)となった。一度は自民党を飛び出し、少数グループの「出戻り」だったにもかかわらず、である。

 14年の総務会長就任に伴い、二階氏自身は派閥を退会したものの、今も実質的な派閥の領袖であり、グループは「二階派」と呼ばれている。
2000年4月3日、自由党全議員懇談会に臨む二階俊博運輸相(奥左)奥の右から2人目は小沢一郎党首
2000年4月3日、自由党全議員懇談会に臨む二階俊博運輸相(奥左)奥の右から2人目は小沢一郎党首
 二階氏のさらなる飛躍への転機になったのは「棚からボタモチ」的な幹事長就任だ。16年8月、当時幹事長だった谷垣禎一氏が自転車事故で退任を余儀なくされ、二階氏が幹事長となった。これで二階派は勢いを増し、他派閥・無派閥議員や無所属議員、他党からの引き抜きなども含め、今や二階派は44人の大所帯である。

 「入閣待機組」を強引に押し込む手法に対し、他派閥で入閣できなかった議員からは「二階氏の手法は強引だ」との怨嗟(えんさ)の声が当然上がる。しかし、二階氏は全く意に介さない。「お前の派閥のボスの迫力が足りないだけだろう」とばかりに、所属議員の押し込みに成功した。