鈴木宗男(新党大地代表)

 11月14日のシンガポールにおける日露首脳会談は新しい歴史の一ページが開かれ、歴史が動いた会談である。

 安倍晋三総理は「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した」と述べ、「今回の合意の上に私とプーチン大統領のリーダーシップのもと、戦後残された懸案、平和条約交渉を仕上げていく決意だ」と述べた。「仕上げていく」という表現は初めてのことである。安倍総理の決意と覚悟が伝わってくる。

 それでは、北方領土問題について歴史的経緯を振り返ってみたい。

 1945年2月11日のヤルタ協定で、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相は「ソビエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2カ月または3カ月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきこと」を協定した。その条件の中には、「樺太のソ連への返還」「千島列島がソ連に引き渡されること」が入っている。この前提で、ロシアが論理を構築している事実をまず認識しなくてはならない。そして9月2日に、日本は降伏文書に署名し、正式に軍事行動を伴う戦争は終わったが、国際法的には戦争状態が続いていた。

 その後、51年9月8日、日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を締結し、国際社会に復帰した。この時、全権の吉田茂首相(当時)は、国後(くなしり)島と択捉(えとろふ)島を放棄している。この事実は国会で当時の西村熊雄条約局長(同)の答弁で明らかになっている。

 そして、56年10月19日、日ソ共同宣言で両国の戦争状態を終わらせるとともに「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望に応え、かつ日本国の利益を考慮して、歯舞(はぼまい)群島および色丹(しこたん)島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソビエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と合意した。
知床の北海道羅臼町沖に広がる流氷の上を飛ぶ国の天然記念物オオワシ。奥は北方領土・国後島=2018年2月26日
知床の北海道羅臼町沖に広がる流氷の上を飛ぶ国の天然記念物オオワシ。奥は北方領土・国後島=2018年2月26日
 しかし、60年に日米安保条約が改訂されると、ソ連は「外国軍が駐留する国とは、領土問題は存在しない」と主張し、4年前の日ソ共同宣言の中にある「9項」について反故(ほご)にしてきた。領土問題はないというから、日本は強く四島即時一括返還を主張したのである。「四島一括返還」という表現は、あくまでソ連時代の日本の主張なのである。

 だが、91年12月、ソ連が崩壊し、登場したエリツィン大統領は「北方領土は未解決の問題であり、法と正義に基づいて話し合いで解決する」と述べ、日本もロシアの柔軟性にかんがみ「四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する」との考えに変わった。いわゆる「段階的解決論」である。