これはこういうことであろう。

 日本神話には天岩戸の話がある。天照大神が須佐之男命との乱暴狼藉に驚き歎いて岩屋に籠もってしまい、世の中が真っ暗になって禍々がしいことがたくさん起きた、という神話である。つまり、天照大神がお怒りになると、日が昇らなくなってしまうと考えられていたのである。日本には、そういう発想があった。

 大晦日から元旦もそうである。大晦日は1年の終わりだが、この1年の罪障が多ければ、天照大神が怒って、新しい年の太陽が昇ってこないかもしれない。そこで天皇は、天照大神はじめ神々に、「今年はこのようなことがありました。しかし、全部、私が悪いのです。国民に当たったり、国民を罰したりするのはやめてください」と一生懸命お祈りする。天照大神が「お前にも色々あるのだろうから、今年は許しましょう」とお許し下されば、元旦の太陽が昇ってくる。

 元旦の太陽が昇ってくれば、国民は喜び、祈ってくれた天皇に感謝する。だから「明けましておめでとう」ということになる。去年1年の罪悪や厄災は、天皇の祈りによって許され、新しい1年がやってきた。ありがたいし、おめでたい。去年のことはすべて水に流して、今年1年、また気持ちを新たに頑張ろう。それが日本のお正月の伝統なのである。

 古来、日本人は日の出が大好きである。大昔の日本人は、日が昇るところを求めて東へ東へと進み、それで海にぶつかって気に入った日向(宮崎県)、伊勢(三重県)、さらに常陸(日立=茨城県)の地に、大きな神社を建てたのではなかろうか。そんな風に考えたくなるほど、日本の太陽信仰には根強いものがある。天照大神をお祀りしている神社は、日本各地にあるが、とりわけ伊勢(三重県)には数多くある。さすがに伊勢の神宮があるだけのことはある。

 ともあれ、日本の天皇は、千年単位の長い期間にわたって、このような祈りを毎年毎年、積み重ねてきた。マッカーサーが来たからといって祈りを変えるはずがない。国民のなかには、長い間にわたって天皇がそのように祈っておられるのも知らず、天皇との一体感を持たなかった者もいるが、天皇は、常に国民と一体だと認識してこられた。

 「大御心」と「御心」という言葉がある。「御心」といえば、その天皇個人の「お心」ということになるが、「大御心」というと、歴代天皇すべての「お心」を合わせたものを指す。

 歴代の天皇が積み重ねてきた祈り、国民への思い、そういうものをすべてわが身で背負おうという「心」である。もちろん、それが容易いはずはない。だが、そうあろうと、日夜、天皇は努力しておられる。
宮崎・高千穂の渓谷(ゲッティイメージズ)
宮崎・高千穂の渓谷(ゲッティイメージズ)
 天皇が国や民を思う心の深さは、われわれの想像の及ぶ範囲ではない。

 われわれ日本人は、そういう物語を持っている国民である。このような物語は、世界のどこを探してもない。たとえばイギリスの国歌では、冒頭で「God save our gracious Queen(King)」と歌う。「神よ、われらの慈悲深き女王(国王)陛下を守り給え」と、国民の側が神に祈るのである。もちろん英国民たちは、神に祈るという形を取りながら、実のところ本心では、女王や王に「慈悲深くしてください」とお願いをしている。