加島宏(弁護士)

 法律家から見れば、秋篠宮文仁親王の大嘗祭(だいじょうさい)に関する意見は至極当たり前であり、きわめて正当だ。皇室の神道儀式を国費で行えば、法律的には国自身が神道儀式を行ったに等しいからである。

 国及びその機関のいかなる宗教的活動も禁止している憲法20条第3項に、真っ向から背くことだ。同時にまた、公金を宗教上の組織・団体のために支出することを禁じている憲法89条にも反する(これらの禁止が政教分離原則の要である)。

 憲法の定める象徴天皇制を政教分離原則と整合的にとらえた上で大嘗祭をするのであれば、皇室の費用(内廷費)の範囲内で皇室の内輪の行事としてやるしかない。それ以外の結論はあり得ない。

 秋篠宮が先の大嘗祭の時から、今回の記者会見での意見と同じ考えだったことは「これは平成の時の大嘗祭の時にも、そうする(国費で行う)べきではないという立場だったわけですが、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですが」との発言からうかがい知れる。

 また、記者会見でのご発言全体を注意深く読めば、秋篠宮はさまざまな問題について常日頃から天皇家で意見交換されてきたことが分かる。両親である天皇、皇后両陛下や皇太子殿下も、秋篠宮の今回の発言内容を先刻承知と思われる。

 一方、政府は既に今年4月3日、今回の大嘗祭も先の大嘗祭のときの方針(1989年12月21日閣議口頭了解)を踏襲して行うと決定した。天皇家の意向を聴取・尊重した気配はまったくない。政府が繰り返し言及するその閣議口頭了解とは、次のような内容だった。これをそのまま踏襲するというのだ。

(1) 大嘗祭が宗教上の儀式であることは否定できないから、国事行為として行うことは困難。

(2) しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然。

(3) その意味において、大嘗祭には公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費(国費)から支出することが相当。


大嘗祭への国費支出に抗議してハンストに入った
日本基督教団などの牧師たち=1990年11月、札幌市
 司法試験の憲法でこんな答案を書いたら、まちがいなく不合格だ。(1)で言っていることと(2)、(3)とはまったく矛盾しており、憲法解釈に一貫性がないからだ。国事行為としてはできないが、国の公的行事としてするのは相当(できる)とは、支離滅裂で何の論理性もない。

 このお粗末な理屈によりかかって、政教分離原則を無視して行われた平成の大嘗祭に対しては、外国籍者を含め約1700人の納税者が大阪地方裁判所に結集し、「われわれが支払った税金を、憲法違反の即位の礼・大嘗祭に使うな」と訴訟を起こした(即位礼・大嘗祭国費支出差止等請求事件)。