1審は門前払いの敗訴判決だったが、1995年3月9日の2審・大阪高裁判決は一転、納税者の権利侵害による慰謝料請求は認めなかったものの、判決理由の中で次のように述べて、大嘗祭への国費支出を違憲と判断し、原告納税者の異議申し立てに軍配を上げた。納税者が実質勝訴したのだ。

 「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、前記最高裁大法廷昭和52年7月13日(津地鎮祭事件-筆者注)判決が示したいわゆる目的効果基準に照らしても、少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」

 この大阪高裁判決は、即位の礼についても、現実に実施された諸儀式・行事の多くが「神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と憲法違反を指摘した。

 原告らは、もともと慰謝料が目的で訴訟を起こしたわけではなかった。訴訟のルール上、慰謝料請求を掲げただけであったため、即位礼・大嘗祭への国費支出は政教分離原則違反、との判断を得たので最高裁への上告はせず、1995年3月9日の大阪高裁判決は確定した。

 日本の裁判史上、大嘗祭への国費支出について実態に立ち入って判断した判決は、唯一この大阪高裁の違憲判決のみだ。国費支出を合憲とした判決は当然存在しない。にもかかわらず、政府は大阪高裁判決を無視し、支離滅裂な先の閣議口頭了解を踏襲して今回も国費を支出する方針だという。その憲法理解は、秋篠宮の足元にも及ばない。

 なぜ、政府は大嘗祭への国費支出に、そこまでこだわるのか。秋篠宮が代弁されたとも受け取れる天皇家の意見に「聞く耳を持たず」ゴリ押しするのか。

 それは、納税者の拠出した税金を支出することによって、「大嘗祭は単なる皇室の私的神道儀式ではなく、国家の重要な儀式である」との観念を、知らず知らずのうちに国民に植え付けることを意図しているからだ。

 憲法の象徴天皇制とはまったく無関係な、神話に基づく天皇像を温存し、国民の統合と政権の安定に利用しようとしているのである。それは皇室も望んでいない(と推測される)政府の勝手な都合でしかない。
2018年11月、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」で発言する安倍晋三首相(手前、春名中撮影)
2018年11月、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」で発言する安倍晋三首相(手前、春名中撮影)
 天皇の政治的利用は、尊王攘夷を唱えて幕府を倒し、政権を奪った明治維新政府にまでさかのぼる。それまで千年以上も政治的権力を幕府に奪われ、何らの世俗的権力も持たなかった天皇を担ぎ出し、明治維新政府は成立した。

 その維新政府は伊藤博文を中心に、皇室を西欧におけるキリスト教に匹敵する日本の基軸に仕立て上げる明確な意図をもって大日本帝国憲法を制定した。さまざまな皇室行事が整備・新設され、国家的行事と位置づけられたのは、実際のところ明治維新以降のことでしかない。いわば文化的存在だった天皇と皇室は、神格化され徹底的に利用された。

 日本国憲法の規定する天皇像は、大日本帝国憲法時代とはもちろん、江戸時代とも、それ以前とも全く異なる。これを一連のものとみなして、大嘗祭に国費を支出することなどにより介入し、そのことによって皇室を政治的に利用することは厳しく排除されなければならない。