つまり、この世の中において「隠すべき事柄」はあらかじめ決まってはいない。それは時代の趨勢によって、いかようにでも変わるのだ。

 だとすれば、今現在の社会状況のもとで「隠すべき疾しいことなど一つもない」と自信満々に高をくくっている人でも、当人自身はみじんも変わっていないにもかかわらず、いつの日か気がつけば他人に知られては困る隠すべき秘密を持ってしまう可能性はいくらでもある。そのことへの想像力と自覚を持った上で「隠したいことなどないから、監視強化は構わない」とうそぶくのでなければ、その主張に説得力はないだろう。

 今の日本社会で「2020年東京オリンピック・パラリンピックまでに!」とのスローガンはちまたにあふれている。首都圏を走る電車内への防犯カメラの導入も「2020年までに!」の典型例である。

 オリンピックなどメガイベントの実施に際して、開催都市・国家の監視対策が一気に高度化する現象は、これまで幾度となく繰り返されてきた。例えば、成田空港や関空空港への顔認証装置の導入は、2002年開催のサッカーワールドカップにおける暴動対策(フーリガン対策)の一環としてなされたものである。

 東京大会開催までの残された期間、さまざまな監視対策が「オリンピックでのセキュリティー確保のため!」とのかけ声のもとで一気に推し進められるだろう。多くの人々はそれを歓迎するに違いない。

 なぜなら、万全なセキュリティー対策を講じてこそ日本文化の美徳である「おもてなし=OMOTENASHI」を世界に示すことができると考えるからだ。だが、メガイベント開催に際して加速化される監視の真の狙いは、声高に掲げられる目的とは異なるところに置かれていることが少なくない。

 思い起こせば日本で開催されたワールドカップの試合会場に、あれほど恐れられたフーリガンは結局現れなかった。その理由は、法務省入国管理局(入管)での水際対策が功を奏したからであろうか。おそらくそうではない。そもそも大会前に喧伝されていた「フーリガンがやって来る!」との報道やキャンペーン自体が、実態とはかけ離れた過剰なものだったのだ。
2002年サッカーW杯フーリガン対策訓練を実施した関西空港税関支署の職員ら(斎藤良雄撮影)
2002年サッカーW杯フーリガン対策訓練を実施した関西空港税関支署の職員ら(斎藤良雄撮影)
 だが興味深いことに、監視を推進する側の人々にとっては、それでも一向に構わない。なぜなら、国際空港での顔認証装置の導入が目論んでいたのはフーリガン対策などではなく、当時アメリカ合衆国を中心とした「テロとの戦争」に全面協力すべく出入国管理における監視を徹底することであり、その目標は世論の反対を引き起こすことなくスムーズに達成されたからだ。

 このように過去の事例を思い返すと、電車内での事件や犯罪への人々の不安と危機感に応える形で現在推し進められている防犯カメラ設置がもたらす社会的影響は、おそらく人々が素朴に感じている以上に広範な領域に及ぶものであることが理解できよう。