電車内をはじめとする不特定多数の人々がかかわり合う「公共の場」におけるカメラ設置の是非が議論されるとき、多くの人はカメラの視線が向かう先を「私たち」ではなく「あの人たち」と想定しがちである。

 車内防犯カメラが照準するターゲットは、女性に痴漢行為をする犯罪者や駅職員に言いがかりをつける不届き者であって、善良なる乗客である自分たちではない。そう考えるからこそ大多数の人々は、監視強化を肯定し、時に歓迎すらできるのだ。

 だが実際のところ、テクノロジーとして作動する監視のまなざしはすべての人々を平等に見張る、もしくは見守る冷徹な装置にほかならない。車内万引の常習犯も会社帰りのサラリーマンも関係なく、すべての乗客の姿と行動が映像として撮影され、データとして保管される。収集された膨大なデータがどのようなルールのもとで保管され、何の目的で利用されるのかは、カメラの視線に曝(さら)される私たち一人ひとりに必ずしも明らかにされていない。

 欧州連合(EU)諸機関では、監視カメラに映像として収められた人の姿を個人情報と位置づけた上で、その保護に関する法制化がなされている。そもそもどのような目的で、誰を対象としてカメラを用いた監視が行われ、そこで得られた映像データは何の目的に使われ、どのように処理されるのか(保存方法・期間や消去方法など)に関しては、個人情報保護の観点からポリシーとして公開されている。

 こうしたEU諸機関での取り組みと比較すると、現時点の日本での行政や企業によるカメラ設置とデータ処理に関するルールは無きに等しいと言わざるを得ない。官民一体となって防犯カメラの導入がなされる際に掲げられる目的が、本当に果たされているかどうかを検証する上でも、カメラのまなざしに曝される当事者の権利を盛り込んだ形で、映像データの取り扱いに関する法制定とルールづくりを進めることが不可欠であろう。
※画像はイメージです(GettyImages)
※画像はイメージです(GettyImages)
 だが現実には、一方でデータベースと接続された顔認証装置の導入など監視の高度化が急速に進みながら、他方でそのことによって引き起こされるプライバシー侵害や個人データ流用に対する危機意識は必ずしも高まっていない。むしろ人々は、いたるところでカメラに見守られることで得られる利益や快適さを重視しがちなように見受けられる。だからこそ、自分の姿や行動に関わる映像データがどこで、どのように、誰によって取り扱われているのかについて、さほど気にかけないことは珍しくない。

 こうした監視と私たちの奇妙な関係は、既に日常の一部となっている。インターネットで買い物をし、お気に入りのサイトで最新情報をチェックし、会員制交流サイト(SNS)で友達と楽しくやり取りするたびに、ネット利用者は膨大な個人情報を電子空間に残していく。