「防犯カメラ」は「防犯」を標榜(ひょうぼう)している以上、それ以外、例えばカメラで撮影したデータを通行量調査やマーケティング調査に使うのは「反則」である、というのが日本の社会通念になりつつある。これは「違法」とはいえないが、一部の市民の強い抵抗がある上、特に強い関心がない市民の多くは「反対する人がいるなら気持ちが悪いので自分も賛成しない」と考えているからだ。

 一般市民にとっては、自分にとって直接に利益が感じられないので、深い考えがあるわけではないが、強い反対の声があると、それが多数派になり、社会常識は慎重論へと傾いてゆく。その際に、強い反対論の根拠として唱えられるのが「プライバシー侵害」の「恐れ」がある、という主張である。

 ここでは定義のされていない「プライバシー」とあいまいな「恐れ」という概念が組み合わさっているので反論が難しい。電車の中の防犯カメラの議論でも同様のあいまいな定義の基に抵抗論が展開される可能性が大である。そこで、筆者としては、先回りしてまず「プライバシー」について考えたい。

 「プライバシー」は相対的なものである。一部の人は、絶対的に保護されるべき「人権」である、というが、それは誤りである。プライバシーの定義については諸説があるので、ここですべてを吟味するわけには行かないが、最近の日本では少しあいまいだが「他人に侵されない個人の領域」というような理解が多いようなので、その理解に沿って「相対性」を論じておこう。

 時代や環境によってプライバシーの感覚は変化している。少し前の日本の家屋では、鍵のかからない障子や襖(ふすま)で部屋が区切られていた。「他人に侵されない個人的な空間」をもつことなど考えもしなかった。自分の個室はプライバシー空間である、という考え方は、鍵のかかる部屋を持つことができるようになってからのものである。以前は、母親が子供の部屋をのぞくというのはプライバシーを侵すものとは思われなかった。
※画像はイメージです(GettyImages)
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 プライバシーとは「他人に知られたくない個人的な秘密」というあいまいな理解もある。人によって「秘密」の感覚は異なるので相対的にならざるを得ない。一般論では語れないものだ。どのようなことが秘密なのか、その人に宣言してもらわなければなるまい。

 電車の中のカメラとプライバシーの問題でいえば、電車の中で撮影されるとその人のどのようなプライバシーが侵されるのか。その電車に乗っていること自体が秘密なのだろうか。覆面で顔を隠しでもしない限りカメラに撮られようが撮られまいが保たれるはずのない秘密である。あるいは、もしかして、痴漢行為を働いているという「他人に知られたくない秘密」が守られるべきプライバシーなのだろうか。こんなプライバシーは守る必要がない。「人権」でもあるまい。