プライバシーが相対的であるというのは「自由」という概念と似ているかもしれない。

 人はむやみに他人を殺す自由はない。コンビニで万引をする自由はない。理由もなく公衆の面前で他人を面罵する自由もない。しかし、そういう社会を「不自由な社会」「自由のない社会」というだろうか。「自由」とはある条件下、特定の制限の中で許されるもので、絶対的な自由は存在しない。プライバシーも同様である。絶対的なプライバシーなどない。

 最後に「恐れ」だが、これも相対的というか、主観的なものである。だれかが「恐れがある」といえば、反論は難しい。しかし、効用とのてんびんにかけて判断は可能だ。自動車は事故によって人の命を奪う恐れがあるので、自動車は社会からなくすべきだ、という議論はほとんどの人の納得は得られまい。「恐れ」よりも自動車を利用する効用の方が圧倒的に大きいからだ。

 後は事故を減らす工夫に力を注ぐ方がよい。同様に電車の中の防犯カメラはプライバシーを侵す「恐れ」があっても、侵されるプライバシーより、カメラによって電車内にもたらされる「安全」「安心」という効用の方が大きいと筆者は思う。痴漢は大幅に減少し、多くの乗客は安心して通勤や通学ができるようになるだろう。撮影記録を分析すれば、「痴漢」の冤罪(えんざい)も少なくなるだろう。サラリーマンも安心して混雑する電車に乗ることができる。

 こうした効用を打ち消すほどの「プライバシーの侵害」の「恐れ」とは、具体的に何なのだろうか。その例証がない限り、筆者は電車の中に防犯カメラが設置されても、プライバシーの侵害は起こらないと結論付けざるを得ない。

 むしろ、もっと重大なプライバシーの侵害は別のところに起きている。米国やアジア各国で生まれた日本でも大人気のメールサービスや会員制交流サイト(SNS)は、それぞれの国で治安組織によって傍受されている兆候がある。あるいはサービス事業者が交信記録を治安当局のみならず外部に提供している事実もはっきりしている。
※画像はイメージです(GettyImages)
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 治安当局などと大仰なことを言わなくとも、スマホで撮影したグループの写真が勝手にSNSにアップされて、知られたくない交友関係が公にされるようなプライバシーの侵害は枚挙にいとまがないほどである。

 「プライバシー尊重」の意識が向上することは望ましいが、その対象を間違えず、本当に尊重すべきプライバシーとは何かを考えるきっかけになれば電車内カメラとプライバシーを議論するのは価値がある。