一方、速水コーチは「自分も殴られて育ってきたので、(殴られることには)感謝の気持ちが根底にあった。それは本当に間違いだったと今回学んだ」と言っている。つまり暴力を振るうことを今まで悪いとは思っていなかったのだ。

 もちろん、体操協会上層部の改革は大切だが、最も身近で、いつも生命を懸けての練習を一緒にやってきた人を、変えたことは大きい。「叩かれたら、叩き返す」「殴られたら、殴り返す」というような硬質ではない強さを彼女は示し、大切な人を変化させることに成功した。

 実はささやかな体験だが、公立中学に通っていた私はテニス部に所属していたが、先輩に殴られて退部した経験がある。「なぜ殴られなきゃならないのか?」という理不尽な思いで翌日には退部届を出したが、周囲は特段、問題とも思っていなかった。つまり周囲の仲間はもっと殴られていたし、暴力の容認は日本中に蔓延していたのである。

 ヨーロッパ、アメリカではコーチという仕事の地位が日本とは比べられないほど高い。それはお金を取れるくらい教える技術があるという意味でもあり、逆にどう指導していいのか分からず、口で説明することなく殴った、となれば即クビになっても当然だといわれる。

 高い給料を貰うということは、あのコーチなら知識の引き出しがなく、技術や心理、悩みの解決ができるという意味なのだ。だからコーチは、とても勉強している。自分の体験だけ、自分の経験以外を処理できないコーチでは人を教えられないからだ。

 日本のスポーツ界は、見事なまでのタテ社会であり、上意下達は迅速かもしれないが、他の社会や他の競技と、自分たちを比較する意識が決定的に欠けている。

 それぞれの競技団体は「蛸壺型」と評されるが、いま壺を破壊して大会に出ようとしているのは、若い選手たちだ。

 サイド、広角で見ると、数年前の女子柔道のパワハラ問題から、徐々に各競技の若手選手たちが、声を挙げるようになってきた。
2018年9月、体操女子の宮川紗江選手への暴力行為について記者会見を終え、深々と頭を下げる速見佑斗コーチ
2018年9月、体操女子の宮川紗江選手への暴力行為について記者会見を終え、深々と頭を下げる速見佑斗コーチ
 当然だが、一人一人は選手であると同時に人間なのだ。どんな選手でありたいかということは、どういう人間でありたいか、ということと同じ意味である。そのことの根底にあるのがスポーツマンシップである。

 自分の尊厳を相手も尊重してくれると信じて委ねること。互いがフェアでありたいという了解が、互いを高める。そのことを今、スポーツ界は改めて噛み締めてほしい。