一つ前の東京五輪、1964年大会で大活躍した女子体操のベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、現チェコ)という選手がいた。彼女は日本でもその美貌が脚光を浴び、しかも圧倒的な実力で人々を魅了した。東京大会で3個の金を獲得、続く68年メキシコ大会でも4個の金を獲ったが、その後の人生は信念という言葉を抜きに語れない人生を送った。

 メキシコ大会前に、当時のチェコスロバキア政府が打ち出した自由改革路線、いわゆる「プラハの春」を支持する知識人たちが発表した「二千語宣言」に署名した。人が生きる上での自由を書いた文章で、これに感銘を受けた彼女は何もためらわずに署名した。

 署名賛同者は10万人を超えるほどの広がりを見せたが、その後ワルシャワ条約機構の加盟国の軍隊がチェコスロバキアを制圧した。ロシアの軍事力を後ろ盾にしたチェコスロバキアの共産党政権は、彼女に書名を撤回するように執拗に迫った。あらゆる手を使って政府は彼女の気持ちを変えようとさせたが、ベラは意志を変えることはなかった。

 約20年間、彼女に自由はなく、さまざまな圧力や尋問が繰り返された。彼女は名前を偽って変装して、清掃の仕事などで糊口をしのいだ。

 私は彼女の人間としての強さに興味を持ち、約24年にわたって取材をした。疑問はただ一つ。「なぜ彼女をさまざまな迫害や圧力にさらされながらも自分というものを持ち続けられたのか?」ということだった。だから何とかホンネを引き出そうと、折に触れて問い続けた。

-周囲の人々が変化してゆく中で、あなただけが署名を撤回しなかった。その勇気について聞かせて下さい。

ベラ「勇気、オドヴァハ、オハヴァハ…いつも面白い質問をするのね。それほど私なんか勇気がある方ではありません。むしろ、私の勇気は自分の良心に背く恐れから生まれたんでしょうね。例えばコミック雑誌や童話の主人公のように、初めから勇気を持っている人なんて極めて稀だと思う。ただ、私は自分自身を裏切ることはただの一度もできなかった」

 また異なる機会には、彼女はユーモアを込めて、こう言った。

2014年10月10日、1964東京五輪50周年記念
祝賀会に出席したベラ・チャスラフスカさん(今井正人撮影)
「……寝覚めの悪いことだけはしたくなかった。私は日本人から刀や兜(かぶと)までプレゼントしてもらっています。だからサムライの精神を持っている。一度言ったことは変えない」

 2020年東京大会を心から楽しみにしていたが、残念なことに2年前の夏、74歳でこの世を去った。繰り返しになるが、どんな選手でありたいかということは、どんな人間として生きるか、と同義語である。

 ベラ・チャスラフスカという人が生きていたら、今の時代の日本の若い選手たちの告発や主張を心から喜んだと思う。「日本のスポーツ界は今、変わりつつあるのね…」と。