外美代:印象的だったのが、その「太陽の塔」。塔の内部に入り、生命の進化を描いた「生命の樹」という作品を見ながら出口まで進んでいくのですが、見終わって外に出た時、自分たちの未来に、輝くような希望を感じたことをよく覚えています。

 東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーチームがソ連(当時)のチームとの接戦を制して優勝を勝ち取り、日本中を沸きに沸かせた。その後の大阪万博では三波春夫の歌うテーマソング『世界の国からこんにちは』が大ヒット。300万枚を超える売り上げを記録。多くの国民と同じく、2人にとってこの原体験は強烈だったが、2人が「オリンピックおじさん」「万博おばさん」として活動を始めるのはもう少し先だった。

直稔:応援にのめり込むきっかけになったのは、1968年のメキシコ。

外美代:なんでまた、メキシコに?

直稔:社長として会社を大きくしてゆく時期で、親友から「日本に納まってちゃいかん。どんどん世界へ行かなくちゃ」って旅行に誘われた先がメキシコだったの。で、どうせ行くならオリンピックを見ながら日本をアピールしようと日の丸の旗と羽織袴を持参して、現地で買ったメキシカンハットを被ったら、もう目立っちゃって(笑い)。

外美代:それが今のコスチュームの原型になったんですね。

直稔:そう。とくに思い出深いのが、男子陸上競技。メキシコ人って遠目から見ると日本人にそっくりだから、日本の選手を応援してたつもりが、途中から間違えて、メキシコ人選手を応援してた。引くに引けなくなって、「メヒコ! メヒコ!」と絶叫していたら、今度はメキシコ側の観客たちがそのエールにのって、「ハポン! ハポン!」と日本人選手を応援し始めてね。13万人の大観衆が総立ちで相手の国の選手を応援したんだ。こんな感動したことはなかったね。

外美代:団長の“応援精神”はそこで培われたのですね。

直稔:そう。応援って、すごい力を持つものなんだって、心底実感した。

外美代:私は、2005年の愛知万博『愛・地球博』が、正式に万博にハマったきっかけです。実は最初は、イヤイヤながら行ったのよ。

直稔:嫌なのにどうして行ったのよ?

外美代:実はその前に大きな手術をして体力が落ちていて、主治医から「リハビリのため、散歩がてら万博に行ってみろ」と言われて。「そんなに行け行け言うのなら、先生が行きゃあいいじゃない」と毒づきながら行ってみた。

 そうしたら、そこは「世界」だった。各国のパビリオンでは、パスポートなしで世界中の人と交流できる。そのうえ期間内ずっと使えるパスポートが1万7500円なんです。一度購入すれば、何度も入れるから「5回も行けば元がとれる」という“名古屋人精神”に火がついて、気がつけば毎日通っていた(笑い)。

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