岩田温(政治学者)

 内村鑑三の『代表的日本人』は、日本史上の偉人を世界に紹介した名著として知られる。代表的日本人として内村が選んだのは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人である。代表的日本人の筆頭に置かれた西郷隆盛を扱った部分には面白い一節がある。

 もしわが国の歴史から、もっとも偉大な人物を二人あげるとするならば、私は、ためらわずに太閤と西郷との名を挙げます。二人とも大陸方面に野望をもち、世界を活動の舞台とみていました。

 太閤とは、いうまでもなく豊臣秀吉のことを指す。内村は豊臣秀吉と西郷隆盛こそが日本史上もっとも偉大な二人であったというのだ。私が大変興味深く思うのは、両者がともに大陸方面に野望をもっていたことを含めて、内村が両者を偉大であると説いている点だ。

 昨今では、豊臣秀吉、西郷隆盛を語る際、どこかに贖罪意識を持たねばならないという雰囲気がある。要するに、秀吉であれば朝鮮出兵、西郷であれば「征韓論」に関して「反省」の意識がなければならないとされている。そうした空気からまるで自由な内村の発想を興味深いと思うのだ。

 西郷隆盛を讃える内村の文章は熱烈な尊敬と愛情に満ちている。西郷隆盛がなければ明治維新は成し得なかったと説き、明治維新とは「西郷の革命であった」という。そして西南戦争の中、城山で没した西郷は「最後のサムライ」であったとすら評している。西郷隆盛の後にサムライなしとは、最大限の賛辞といってよいのではないだろうか。

 内村が西郷を尊敬してやまなかったのは、西郷の道義を重んずる態度に感銘を受けていたからであろう。西郷に関する文章の最後は次のように締めくくられている。

 西郷には、純粋の意志力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります。それは最高の偉大さであります。西郷は、自国を健全な道徳的基盤の上に築こうとし、その試みは一部成功をみたのであります。

 内村が極めて道徳的であったと崇め立てる西郷隆盛だが、誰もが内村のごとき評価を下しているわけではない。征韓論の主唱者であり、近代日本の大陸侵略の嚆矢(こうし)となった軍国主義者とみなす人々も少なくない。彼らにとって、西郷とは非人道的な侵略者であり、西郷を道徳的であったとは決して見なさないだろう。
鹿児島県霧島市の西郷公園に立つ西郷隆盛像(竹川禎一郎撮影)
鹿児島県霧島市の西郷公園に立つ西郷隆盛像(竹川禎一郎撮影)
 西郷隆盛を道徳的であったとみなす内村は、この征韓論の問題をどのように捉えていたのだろうか。