征韓論については諸説が存在しており、西郷隆盛には「征韓」の意図はなかったと西郷を擁護する人々も存在する。西郷は朝鮮を侵略する意図はなく、平和裏に国交を結ぶことができると考えていたのではないかと説くのだ。こうした立場に立てば、西郷は侵略戦争を鼓吹(こすい)した野蛮な人物ではなく、道徳的に指弾する必要はなくなる。だが、内村はこうした立場には立たない。内村の「征韓論」に関する議論は次のようなものだ。

 日本からの派遣した使者に対して、朝鮮は無礼な態度をとった。さらに、朝鮮に住む日本国民に対して、敵意を向け、日本の名誉を傷つけるような布告を発した。西郷隆盛は、朝鮮が無礼な態度をとっただけで戦争を仕掛けろと主張したのではない。いきなり武力を行使するのではなく、少数の使節を派遣し、無礼に対する責任を問うべきと説いたのだ。そして、仮に新しい使節団に対して侮辱を加えたり、身体を傷つけた場合には、軍隊を派遣し、征服せよと主張した。さらに、その危険を伴う使者は西郷自身が引き受けたいと申し出たのである。

 内村の説明する征韓論の細部に誤りがあるのか、否かをここで問うつもりはない。ここでは、西郷隆盛が場合によっては朝鮮を征服せよと主張したことを内村が十分に認識した上で、西郷を尊崇(そんすう)していることを確認しておきたい。

 さらに内村は、西郷の唱えた「征韓論」が退けられたことを悔やむかのように次のように述べている。

 岩倉とその一派、『内治派』の思惑どおり、国はいわゆる文明開化一色となりました。それとともに、真のサムライの嘆く状況、すなわち、手のつけられない柔弱、優柔不断、明らかな正義をも犠牲にして恥じない平和への執着、などがもたらされました。

 現在のわれわれの感覚とは全く異なる価値観がここに表明されているといってよいだろう。「正義をも犠牲にして恥じない平和への執着」は、けしからぬことだと説く内村は、平和を何よりも重んずべきだと主張する戦後日本の風潮とはまるで異なる価値観を有していた。

 誤解されたくないので強調しておくが、現在において、正義を貫徹するために速やかに戦争を遂行せよなどと主張するつもりはない。ただ、価値観は時代によって大いに変化するものであり、その当時の価値観を無視して現在の価値観を押し付けて歴史を解釈してみても始まらないということを指摘したいのだ。

 西郷隆盛は「征韓論」を唱えた人間だから悪人であった。

 西郷隆盛は実際には武力で朝鮮半島を支配する意図を持っていなかったので善人であった。

 どちらも、「武力を行使して他国を侵略することは悪である」との価値観から歴史を裁こうとする態度であるという点に径庭(けいてい)はない。どちらの評価もあまりにばかばかしい評価なのだ。

内村鑑三『代表的日本人』(鈴木範久訳、岩波文庫)
 もちろん、ナチス・ドイツのジェノサイド、ソ連におけるウクライナ飢饉(ききん)の問題など、いかなる時代においても許されざる蛮行というものが存在することも事実だ。こうした大量虐殺を単に時代の趨勢(すうせい)の結果とすることがあってはならないのは当然のことだ。

 われわれが歴史を振り返る際、重要なのは歴史を裁くことではなく、先人たちの胸中を去来した想いを想像してみることだ。

 何故、西郷隆盛は征韓論を唱えたのか。
 何故、西郷隆盛は政府を去ったのか。
 何故、西郷隆盛は挙兵し、城山に散ったのか。

 単純な善悪二元論に陥るのではなく、史料をもとに想像してみることこそが歴史を学ぶということだろう。