朝廷における陰陽師の配属部署「陰陽寮」は、星の動きを観察し、天文の計算によって日食を予測するなどして暦を作成し、風雲(気象)を監視して天気を予報する、専門家集団だった。

 民間の陰陽師たちも同様に、それぞれの地域で暦を作り天気を予報する。農耕には気象の予測が何よりも大事なのだ。関東の三島暦・大宮暦、伊勢の丹生暦はその代表的なもので、特に三島暦は朝廷の陰陽暦と絡んで信長も関係する大騒動を呼ぶのだが、それはもう少し後の話である。

 六芒星の陰陽師たちは、気象を観測し戦闘に適した日程を大将にアドバイスする。

 彼らは「軍配者(軍師)」とも呼ばれた。第7回の桶狭間の戦いのくだりでも紹介した軍配者は、占いや敵味方の「気」を観察することで戦機をはかったと言われているが、一方で常日頃膨大な気象データを蓄積し、体験的な予報を下す科学者たちでもあった。

 桶狭間の戦いで奇跡的な勝利を信長にもたらしたのも、大蛇(龍)への祈りと彼ら軍配者の正確な気象予報だったが、長篠の戦いのときに彼らが信長の側に待機していなかったと考える方が不自然だ。これは何も信長に限ったことではなく、当時の大将たちは皆軍配者=陰陽師を戦場にともなった。
陰陽道の祖として知られる安倍晴明が祀られる晴明神社=2007年1月、京都市上京区(撮影・門井聡)
陰陽道の祖として知られる安倍晴明が祀られる晴明神社=2007年1月、京都市上京区(撮影・門井聡)
 その意味で、成瀬家本が家康本陣に六芒星メンズを描きこんだのも間違いではないのだが、大阪城天守閣本を描かせた人物は大宮川の流れのように「信長の軍配者こそが勝利の立役者だった」という伝承に触れていた可能性が高い。信長は、大蛇(龍)の力をあてにするだけではなく、最大限合理的で有利な条件で戦えるよう、手を打っていたのだ。

 信長のブレーンというのは、まさにこの軍配者たちだった。

「おみゃーら、どうだて、お天道様はしばらくの間は出ておりゃあすか」
「いーーっ、ここ2、3日は雨は降らずと勘考しとりますで、お戦にかかられませ!」
「であるか!もし外れたらワヤだで、間違いありゃせんか。そんなら始めよまいか!」

この主従が尾張弁でこんな会話を交わしていたかと想像するのも一興だろう。