著者 上田英明(東京都在住)

 昭和天皇の崩御から30年目となった今年、生前の知られざる苦悩が明らかにされた。以下、産経新聞の記事「『細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる』昭和天皇85歳、ご心情 故小林忍侍従日記に記述」を引用する(2018年8月23日付)。

 昭和天皇が85歳だった昭和62年4月に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしていたことが22日、元侍従の小林忍氏が残した日記の記述で分かった。

 先の大戦を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任を気にかけていた心情が改めて浮き彫りになり、重要史料といえる。62年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記され、昭和天皇がこの前日に住まいの皇居・吹上(ふきあげ)御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた

 これは、共同通信が小林氏の遺族から預かったという日記に書かれている内容で、産経新聞に限らず新聞各紙が報じている。東京裁判の前段階では、昭和天皇の「戦争責任」を問うか否かが争点となり、結果としてそれは回避された。

 だが、昭和天皇ご本人にはそれが生涯重荷となっていたらしい。現に世間にはそういう論調が根強くあり、面と向かって言う人まではいなくても、耳に入ることはあったのであろう。

 また、朝日新聞の記事によれば、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と述べたという。

 これを報じた、朝日新聞をはじめとする新聞各紙にもさすがに昭和天皇の「戦争責任」を求める論調はないが、中国や韓国に言われるがまま先の大戦が日本の「侵略戦争」だったという考え方は根強い。その急先鋒として「歴史修正」を非難しているのが当の朝日新聞に他ならないが、「戦争責任」論の大本にはこの考え方がある。
春の園遊会に臨席された昭和天皇=1988年5月、東京・赤坂御苑
春の園遊会に臨席された昭和天皇=1988年5月、東京・赤坂御苑
 昭和天皇に「戦争責任」が問われるとすれば、それこそ昭和の、支那事変に端を発する大東亜戦争ということになるであろう。その最高責任者としての責任ということなのだろうが、清国時代からの因縁で中国には昭和以前から相応の地盤が築かれていたし、当時「世界」の大半を支配していたのは連合国側の諸国であった。あれが昭和天皇主導の「侵略戦争」であったと言えるのか。

 もっとも、昭和天皇が感じたのは、他国の「侵略」に対する「戦争責任」より、多くの犠牲者を出した「敗戦責任」ではないか。