昭和天皇自らが首相に任命し、大東亜戦争を主導したとされる東條英機は、戦後の東京裁判で「A級戦犯」の一人として死刑を言い渡され、今も極悪人扱いされている。自身が責任を免れても、昭和天皇がこれを「過去の歴史の一こま」で片付けられるわけがない。

 戦争のみならず、激動の時代を生き抜いた昭和天皇には、責任論を耳にするたび人知れぬ心の痛みがあったのではないだろうか。

 生前のみならず、亡き後も昭和天皇を責め続ける人々がいる。2000年12月8~11日の4日間(7日に前夜祭)、皇居に近い東京・九段会館で「女性国際戦犯法廷」なるイベントが開催された。

 これは、日本の慰安婦問題について責任を追及するため法廷を模した民間団体の抗議活動である。「判決」は1年後の2001年12月4日にオランダのハーグで言い渡されるという手の込み様だった。

 この「判決」は、日本政府側の言い分など、はなから聞く気もないものだと分かってはいるが、慰安婦問題の「判決」の一部分を見てみよう。

 前文で 

 天皇は日本兵によって行なわれた犯罪に、明らかに気づいていたと私たちは結論づけた。特に、あまりにも悪名高いために「南京大虐殺」や「マニラ大虐殺」として知られた事件のさなかに、日本兵が強かんや性暴力を含む一連の残虐行為を犯していることを天皇が知らないでいることは事実上不可能であったはずだ。その虐殺や強かんは日本国内でも国際的にも広く報じられていた

とした上で、 

 本法廷は天皇裕仁が、「慰安制度」がより人目につき、問題視される地元女性に対する強かんの代替策と称して急速に拡大されていったこと、「慰安制度」内で強かんと性奴隷制が行われていたことを知っていなければならなかったと認定する。さらに私たちは、その地位および戦争遂行に果たす重要性に基づいて、彼が黙示的あるいは積極的に「慰安制度」の存在と拡大を承認することで少なくとも関与していたことを認定する。よって、先の判定を再確認し、天皇裕仁を(中略)人道に対する罪としての強かんと性奴隷制で〈有罪〉と認定する

と判断している。

 そもそも東京裁判で昭和天皇の「戦争責任」が問われることはなかった。ところが、この「法廷」では、まず「天皇であろうと」刑事責任は免除されないと宣言し、戦争そのものに対する責任を問うならまだしも、その存在そのものが疑わしい「南京大虐殺」、旧日本軍の末端の裏事情でなおかつ昭和天皇崩御後に持ち上がった慰安婦問題の責任を、その昭和天皇に負わせようと言うのだから強引かつ傲慢(ごうまん)極まりない。最初から有罪ありきの「判決」である。

 大きな「戦争責任」論に心を痛めていた昭和天皇が、慰安所設置の責任まで押し付けられたと知ったら、どう思うだろうか。