なお『日本国紀』の「パクリ」事案については、例えば、決して思想的に百田氏と近い母体ではなかろう「弁護士ドットコム」の11月27日付記事でも「出所の明示だけでなく、それぞれの部分について、明瞭区別性や主従関係などの要件に合致するのか、引用先(『日本国紀』)の歴史書としての特性や引用元の特性なども考慮にいれる必要がある」「偶然類似してしまった可能性もあるので、『依拠』の要件を満たしているのかという議論もある」と述べられている。つまり、最初から批判ありきで類似性をあげつらうだけでは話にならないのである。

 もし議論に付き合う価値があるとすれば、実名による論点明瞭な批判である。12月26日付毎日新聞「売り上げ好調百田氏「日本国紀」に「コピペ」騒動 専門家の評価は?」では、秦郁彦氏(現代史家)と辻田真佐憲氏(近現代史研究者)のコメントが寄せられている。

 辻田氏は現状での『日本国紀』批判が「このままでは単なるネット上の"百田たたき祭り"で終わってしまい、結果的には社会の分断を広げるだけで終わってしまう」といった作法(?)についてのものだが、秦氏は『日本国紀』の連合国軍総司令部(GHQ)やウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)に関する記述を「陰謀史観的だ」と批判し、「WGIPに言及した部分は元々、(文芸評論家の)江藤淳が提唱したものです。そこから取ったのでしょうが、これまで広がらなかったのは、その論に説得力がなかったから。WGIPがそこまで大それたものだったかという点で疑問があります」としている。

 いわゆる慰安婦問題についての秦氏の研究には、戦前日本が軍、政府命令で強制連行したわけではないことを明らかにした点で大いに敬意を表したい。しかし秦氏の研究をもってしても、いまだ「日本は慰安婦に無理やり悪いことをしたんじゃないか」と思っている日本人も大勢いる。

 これも、まさに江藤淳著『閉された言語空間』(文藝春秋)で指摘されたような自虐史観を自己増殖させるメカニズムによるものではないのか。戦争に負けたことを知っていてもWGIPの存在自体を知らない日本人がまだまだ圧倒的に多い現在、こうした議論自体が『日本国紀』によって知らしめられることを、日本人は歓迎できないのであろうか。
呉座勇一さん=3月14日、京都市西京区(寺口純平撮影)
呉座勇一さん=2018年3月14日、京都市西京区(寺口純平撮影) 
 朝日新聞では12月4日より毎週火曜に、冒頭で挙げた『応仁の乱』の著者でもある呉座勇一氏による「呉座勇一の歴史家雑記」で『日本国紀』批評が展開されている。その初回では「さぞかし過激な内容だろうと予想していた私は正直、拍子抜けした」とあるが、はて一体どのような内容を「予想」したのであろうか。