宇山卓栄(著述家)

 「これは日本人の良心の反乱だ!」。私は百田尚樹氏の『日本国紀』大ヒット現象をこのように捉えている。

 日本人は今、歴史の真実に飢えている。我々がかつて、学校で習った歴史は信用できない。戦後、わが国の歴史教育は日本人を精神的に去勢するために、一貫して誇るべき歴史を意図的に教えずにきた。教えないだけならば、まだマシである。日教組など一方的な思想に偏った教師は「日本はろくでもない歴史を抱えた国」だとあえて「自虐史観」を教える。それは今も昔も変わらない。

 メディアや出版物など、日常で手にすることのできる情報は、何らかの色を付けられ操作されていることが多い。これらが信用できないとなれば、自分たちが受けてきた教育も何らかの色が付いているのではないかと疑うのも自然な流れだろう。そして真っ先に「おかしい」と疑われたのが、歴史教育なのである。こうした時代の空気の中で、良心のある日本人は百田氏の『日本国紀』を手に取り、真実が何かを確かめ、追求しようとしている。

 『日本国紀』について、「自分の考えと通説を混同するな」「史料や学術的な裏付けがない」などという批判もある。しかし、これらは批判のための批判である。百田氏は自分の考えや推論・仮説を提示する際には、文脈上それと分かるように明確に書き分けている。その区別が付かないという批判者は、よほど読解力がないと言わざるを得ない。

 また、『日本国紀』は学術論文ではなく、日本史を俯瞰(ふかん)した概説書である。史料の裏付けがなければ著者の考えを述べることができない、などという制約はない。大いに考えを述べればよい。些細なことをあげつらって、鬼の首を取ったかのように言い散らすのは批判者の常である。
講演する原作者で作家、百田尚樹氏=2018年10月、東京都港区(佐藤徳昭撮影)
講演する原作者で作家、百田尚樹氏=2018年10月、東京都港区(佐藤徳昭撮影)
 私が見る限り、『日本国紀』における百田氏の考えは実にバランスの取れたものであり、一部の人が批判するような「偏り」などほとんどない。例えば、先の戦争における日本の過ちについて、反省すべきところは反省している。『日本国紀』には以下のようにある。

アメリカがいつから日本を仮想敵国としたのかは、判然としないが、(中略)ワシントン会議の席で、強引に日英同盟を破棄させた頃には、いずれ日本と戦うことを想定していたと考えられる。それを見抜けず、日英同盟を破棄して、お飾りだけの平和を謳った「四ヵ国条約」を締結してよしとした日本政府の行動は、国際感覚が欠如しているとしかいいようがない。(『日本国紀』382ページ)

 この一文を見ても、百田氏の見解は非常にフェアなものであり、「軍国主義思想に凝り固まっている」などという批判が当たらないことが分かるだろう。『日本国紀』では、当時の軍部や政府、官僚たちの誤りについて、しっかりと批判検証がなされている。これに関する百田氏の批評は、保守論壇にとって頭が痛くなるほど手厳しい。