横山泰行(富山大名誉教授、ドラえもんアナリスト)

 ドラえもんは、1969年12月に小学館の学年誌『小学一年生』、『小学二年生』、『小学三年生』、『小学四年生』で連載を開始した漫画である。作者である藤子・F・不二雄氏から、漫画の大好きな日本の子供たちに、素晴らしいクリスマスプレゼントが提供されることとなった。

 学年誌などに連載されたドラえもんは、最も多くのファンに愛読された『てんとう虫コミックス短編(第1巻74年8月発行)』、『大長編(第1巻82年12月)』、雑誌『コロコロコミック(77年5月創刊)』に集約して刊行された。79年9月までに第17巻まで刊行されていた『てんとう虫コミックス短編』の累積総販売部数は1500万部に達したと報告されている。

 ドラえもんをスーパーアイドルに押し上げ、戦後の代表的な国民的漫画として認知されるに至ったのは、テレビの放映と映画の製作によるといっても過言ではない。

 ドラえもんは79年4月から、テレビ朝日系でアニメ放映が始まった。さらに『てんとう虫コミックス大長編第1巻』を原作として、最初の映画『のび太の恐竜』が80年3月に公開された。

 このアニメや映画の影響もあり、てんとう虫コミックス短編の累積総販売数は80年2月には、3千万部の大台に乗っている。84年3月には、短編(29巻)、大長編(2巻)の累積総販売数は驚異的な5千万部となった。

 また、冬の北海道の一大イベントである「さっぽろ雪まつり」では、80年に雪像の半分をドラえもんのキャラクターが独占した。出版界においても、戦後の日本の社会心理学を牽引してきた一橋大の元教授であった南博氏が『ドラえもん研究』(ブレーン社)を公刊するなど、社会現象になった。

 そして、その人気は国外にも拡大する。80年代にアジアを旅行した日本人がいたる場所でドラえもんの姿を見かけるようになり、その事実が新聞やテレビで報道されるようになった。特に、香港、台湾、タイを旅行した人たちに顕著に認められた兆候であった。
※写真はゲッティイメージズ
※写真はゲッティイメージズ
 アジアで急激にドラえもんが浸透するきかっけになったのは、ドラえもんの漫画の海賊版の横行だったとされる。上記の香港や台湾、タイは日本とともに戦後の豊かさをいち早くアジアで実現した地域でもあったことから、他の国々へドラえもんの流行を促す拠点港になった。

 筆者の同僚がタイで調査研究に従事した際、タイでは地図に出ていない小さな村落でさえ、ドラえもんを必ず目にすることができたと、驚きながら語ってくれたことがある。そして世界を飛翔し続けたドラえもんは90年代に中国において、あっという間にディズニーのミッキーマウスをしのぐ人気者になった。