三浦瑠麗(国際政治学者)

 「平成」という時代の日本の民主主義は一体何だったのでしょうか。平成は、国際的には冷戦が終結してからの時代とそっくり重なっています。

 今上陛下が即位したのが1989年1月8日。時を同じくして、米国ではジョージ・H・W・ブッシュ大統領が就任。その年の終わりにベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ大統領はソ連のゴルバチョフ書記長とマルタで会談を行い、敵対関係を改めました。91年初頭の湾岸戦争では、米ソが同じ側についたことで、冷戦が名実ともに終わります。

 ソ連の崩壊で、社会主義経済が立ち行かないことは実証されました。西側陣営のリベラルは、その教訓をもとに90年代には改革を志向するようになります。改革派左派の政権は、国防予算の減額によって平和の配当をもたらし、政府の効率化を進め、社会主義ではなく努力した者が報われる社会を目指しました。米国のクリントン大統領、ドイツのシュレーダー首相、英国のブレア首相などがその系譜に当たります。

 日本人にとっても、平成とは迫りくるグローバルな変化に徐々に自覚を迫られる30年であったはずなのです。しかし、日本はその時期、91年にバブルが崩壊して「失われた10年」と呼ばれる90年代を過ごすことになります。

 一時期は「冷戦が終わって勝ったのは日本だ」とまで言われた国ですが、日本は世界の帰趨(きすう)にほとんど影響を与えることもなく力を失っていきます。日本経済の長期低迷、政治の停滞は際立っていました。

 政治停滞の理由は、日本でそうした改革志向の左派政権が成立しなかったことに求められるでしょう。例えば、スウェーデンでは平和主義の解釈や軍の海外派遣をめぐって、二大政党の間に広範な合意が存在しますが、日本では「左右対立」の核心は今も憲法9条や安全保障でありつづけています。

 憲法9条や安保が与党と野党第一党の間の主要争点である限りは、「55年体制」と同じ構図が、より左派が弱まった形で展開せざるを得ません。つまり、日本における左派政党の弱さは、それが安保や憲法以外の広範な政治課題を獲得できなかったことによるものなのです。
2009年8月、開票センターのボードを埋め尽くした「当確」のバラに笑顔を見せる民主党の鳩山由紀夫代表(早坂洋祐撮影)
2009年8月、開票センターのボードを埋め尽くした「当確」のバラに笑顔を見せる民主党の鳩山由紀夫代表(早坂洋祐撮影)
 唯一の例外が、民主党政権の誕生でしょう。民主党は有権者に構造改革志向の政党と見做(みな)され、また必ずしも従来の革新政党の枠にはまらない、安保に対する考え方の多様性を持っていたからです。しかし、ご案内の通り、民主党政権は短命に終わります。

 日本政治で大きな盛り上がりを見せたのは、実はイデオロギーや政策課題を巡る論争ではなくて、制度改革、とりわけ衆院選での小選挙区制導入を巡る動きでした。しかも、その小選挙区制の導入を巡る議論は自民党の中から出てきたのです。