実は、黄色、つまりノーマークのところで地震が相次いでいる。この種の地図が作られるようになったのは阪神・淡路大震災以後だが、その後に起きた大地震、2000年の鳥取県西部地震(M7・3)、04年の新潟県中越地震(M6・8)、07年の能登半島地震(M6・9)と中越沖地震(M6・8)、08年の岩手・宮城内陸地震(M7・2)などはすべて、ノーマークだったところで起きてしまった内陸直下型地震である。

 地震調査委員会によれば、16年に起きた熊本地震の発生確率は30年以内に0・9%以下だった。つまり、決して高くない数値だった。でも、大阪北部地震も北海道地震も、政府は予測できなかった。地震がノーマークのところで起きてしまったからである。

 直下型地震の多くは、既に分かっている活断層ではないところで起きた。地震が起きてから初めて活断層だと分かったところもあれば、結局、活断層が地震を引き起こしたかどうか分からなかったものもある。つまり、既存の活断層だけを警戒していればいいものではないことが、最近の直下型地震でも確かめられたのだ。

 プレートの動きは止まることはなく、一定の速さで日本列島に向かって動き続けている。プレートの動きによって、岩が我慢できる限界を超えると起きるのが地震、そして、プレートが約100キロのところまで潜り込んだところで、岩が溶けてマグマが生まれ、それが上がってきて起こすのが火山噴火だ。地震はプレートの動きの直接的な反映で、火山は間接的になる。

 では、平成時代の火山活動はどうだったろうか。2014年に起きた御嶽(おんたけ)山(長野、岐阜両県)の噴火は、60人以上の犠牲者を出した。これは1991年に雲仙・普賢岳(長崎県)の犠牲者46人という戦後最多の記録を塗り替えてしまった。

 だが、噴火の規模から言えば、日本で過去に起きた噴火に比べると、御嶽山が噴出した火山灰や噴石の合計の容積は東京ドーム(容積約124万立方メートル)の3分の1から2分の1ほどの量だった。火山学から言えば、決して大噴火ではなかった。

 19世紀までの日本では、各世紀に4~6回の「大噴火」が起きていた。「大噴火」とは、火山学で3億立方メートル以上、東京ドームの250杯分以上の火山灰や噴石や溶岩が出てきた噴火をいう。御嶽山の噴火よりもはるかに大きな噴火である。この「大噴火」は17世紀には4回、18世紀には6回、19世紀には4回あった。
2018年9月26日、御嶽山噴火から4年を前に、登山道の規制を麓の長野県木曽町が解除。慰霊登山の遺族らが到着した御嶽山の山頂(共同通信社ヘリから)
2018年9月26日、御嶽山噴火から4年を前に、登山道の規制を麓の長野県木曽町が解除。慰霊登山の遺族らが到着した御嶽山の山頂(共同通信社ヘリから)
 ところが20世紀に入ると「大噴火」は1914年の桜島と29年の北海道・駒ケ岳の2回だけで、その後100年近く「大噴火」は起きていない。

 しかし、この静かな状態がいつまでも続くことはありえない。これらが東北地方太平洋沖地震という巨大地震をきっかけに「普通」に戻りつつある。世界的にも、大地震と噴火は関連があることが多い。