呉智英(評論家)


 平成三十一(二〇一九)年四月三十日、今上天皇の退位をもって平成は終わる。元号にしろ、西暦にしろ、紀年法では序数詞(英語で言えばfirst、second…)を使うので、必ず「数え年」になる。従って平成は満三十年で終了ということになる。

 平成は、一九八九年一月八日、前日の昭和天皇崩御の翌日から始まった。この三十年間の総論として文明史・精神史的にふり返ってみよう。日本人の意識、感覚がどんな事件によってどのように変わったかということである。

 平成という時代区分は、天皇の崩御・即位という偶然によって始まり、その終焉(しゅうえん)もまた天皇の高齢による退位という偶然によるものである。これは西暦であっても同じであり、十九世紀だろうと二十世紀だろうと単に数字上の区分にすぎず、そこに意味を求めることはできない。

 一方、弥生時代、鎌倉時代、あるいは中世、近代といった時代区分はこれと違い、経済や政治形態の変化、さらにそのため起きた文化、生活、思考の変化に基づくものである。平成の三十年は、平成時代と命名し得るほどの大きな特徴があったわけではないが、時代のテンポが激しい現代であればこそ、やはりそれなりの特徴が現れるだろう。

 まず、平成元年、西暦一九八九年という年である。この年、世界的な大変動があった。国内に直接的な影響はなかったように見えるが、じわじわと日本にもこの変動が波及してきた。

 それは、同年秋のベルリンの壁崩壊であり、それに続く東欧社会主義の解体である。二年後の一九九一年には、ついに本家ソ連が瓦解した。これと直接の関係はないものの、一九八九年六月には中国で天安門事件(第二次天安門事件、または六四天安門事件)が起きている。奇(く)しくも、この年はフランス革命二百周年にも当たっていた。

 これによって、世界的な政治バランスが変わるとともに、社会主義の評価が決定的に覆ることになり、保守と革新、左翼と右翼という対立項の意味付けも変わることになった。最近の世論調査などによると、特に若い世代では、保守とは左翼のことであると思っている人が多いという結果が出ているが、混乱はここに始まっていると見るべきだろう。

 また、言論人などが競うようにして保守派を名乗る風潮も軌を一にしている。ただし、後者では正しく「右寄り」の意味で使われている。

 これに拍車をかけたのが、平成十四(二〇〇二)年十月の北朝鮮拉致被害者の一部帰国である。これによって北朝鮮の犯罪性は明々白々となり、たとえその「社会主義」が変質を遂げた偽りのものであったとしても、左翼と革新の言説の信頼性は著しく低下することになった。
24年ぶりの帰国を果たした蓮池薫さん(中央)と母親のハツイさん=2002年10月
24年ぶりの帰国を果たした蓮池薫さん(中央)と母親のハツイさん=2002年10月
 さらに追い討ちをかけたのが、二〇一四年八月五日の朝日新聞による「慰安婦報道」の取り消し記事である。