財部誠一(ジャーナリスト)

 「平成」という時代は、日本の近代史において例をみない「有頂天」から始まった。

 平成元年(昭和64年)、日経平均は3万8915円の史上最高値をつけ、世はまさにバブルの絶頂期にあった。この年を象徴する出来事は、やはり三菱地所によるロックフェラーセンターの買収だ。そして「東京23区の土地で米国全土を買える」と調子にのった。今振り返れば滑稽きわまる話だが、当時は金融界も投資家もついに日本は「世界一の債権大国」になり、ジャパンマネーの行く手を遮るものなしと浮かれていた。

 その有頂天気分はバブルが崩壊した後もしばらく続いた。株価や地価が急落し始めても「押し目買い」のチャンス到来くらい軽く受け止めていた当時の気分だった。その後に大手銀行や大手証券会社が次々に倒産し、阿鼻(あび)叫喚の金融崩壊がやってくることなど全く想像もしなかった。

 バブル崩壊ネタを扱うたびにテレビ局は山一証券社長の号泣会見ばかりを流すものだから、バブル崩壊というと山一証券を連想するようになってしまったが、実際には平成9年の11月に三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が一挙に破たんし、日本の金融秩序のメルトダウンが始まった。

 その後、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破たん、並み居る大手都市銀行も危うくなり、合併を繰り返した末に現在の3メガ体制に移行。最終的には10兆円を超える公的資金が銀行に投入され、ようやく不良債権処理にピリオドが打たれたのは平成16年だ。バブル崩壊から実に16年もの歳月を要したことになる。
記者会見で自主廃業を発表する、山一証券の五月女正治会長、野沢正平社長(右)=1997年11月
記者会見で自主廃業を発表する、山一証券の五月女正治会長、野沢正平社長(右)=1997年11月
 こうしてみると、バブル崩壊そのものが問題だったというより、バブルの敗戦処理を誤ったことが長期にわたる日本経済低迷の元凶だったことが分かる。バブルは資本主義における不可抗力のようなもので、世界中で繰り返し起こってきた。

 平成の時代にも、タイの通貨危機から始まったバブル崩壊でインドネシアや韓国は大打撃を被ったが、過酷な国際通貨基金(IMF)管理のもと短期間に経済を立て直した。中国もバブル崩壊を経験しているし、米国ではITバブルがあり、平成20年には世界を巻き込んだリーマンショックが起きている。だが、いずれのケースでも敗戦処理にかかった期間は2~3年だ。一気呵成(かせい)に進められた。振り返れば日本の一人負けである。

 それにしてもなぜこんな体たらくなことを日本はしてしまったのか。