鳩山由紀夫(第93代内閣総理大臣)

 今年は天皇陛下が退位され、浩宮皇太子殿下が即位される、いわば日本が生まれ変わる年です。この30年間、天皇陛下は国民の心に寄り添うことが象徴天皇としてのご自分のお役目と思われて、地震や災害で避難を余儀なくされた人々を慰められたり、サイパンなどへ慰霊の旅をなされたりしてきました。

 一部には、そのような必ずしも国事行為ではない活動ができなくなったから生前退位をすることに批判的な意見もありますが、私はこの決断はご立派だと思います。新天皇が今上天皇のお気持ちを引き継がれて歩まれますことを願います。

 さて、平成は自民党政権で始まり、自民党政権が安定したまま終わりを迎えることになるでしょう。元々、自民党創設者の孫であった私が、一度は自民党の国会議員となるものの、離党して自民党を2度政権の座から引きずり落した人間の一人として、当時のことを反省を込めて振り返ってみたいと思います。

 細川護熙元総理と2人だけで食事をしたことがあります。細川さんが東京都知事選挙に出馬されて数カ月たった頃かと思います。細川さんは次のような意味のことを話されました。「自分は総理として米国に対抗する力を十分持っていなかった。もう一度政権交代するときには、米国からいかに自立した日本を作れるか、そのための覚悟を持った人材が何人いるかだ」。細川さんが私と全く同じ認識であったことに驚きました。

 私は日本を真の意味で独立した国家にしたいと願っていました。自国の安全や平和が他国の軍隊によって守られているのでは、尊厳ある国家とはみなされないでしょう。どんなに時間がかかっても、日本の平和は日本人自身によって守られるような国にしなければなりません。
野党世話人会で会談する鳩山由紀夫氏(左)と細川護熙元首相=1997年11月
野党世話人会で会談する鳩山由紀夫氏(左)と細川護熙元首相=1997年11月
 常時駐留なき安全保障はその道への一つの目標でした。そのためには、沖縄に集中している米軍基地を縮小させていかなければなりません。そして普天間基地の移設問題が問われているとき、それは最低でも県外、できれば国外に移設先を見い出すことでした。私が総理になって最もやりたいことはこのことでした。

 2009年の総選挙では、政権交代への国民の異常なまでの熱気を肌で感じました。あらゆる街頭演説には数千人の有権者の方々が集まってくださいました。しかし、今から思えば、この熱気は沖縄以外の地域においては、私が最もやりたいことに対する支援の熱気ではありませんでした。

 多くの国民にとっては「消えた年金を返せ」「官僚の天下りを止めさせろ」「税金の無駄遣いを止めさせろ」「官から民へ政治を取り戻せ」という叫びの熱気でした。そして、多くの民主党の議員たちも自民党政治の政官業の癒着を追及して、喝采を浴びていたのです。

 長い自民党一党支配の政治が続く中で、権力の癒着が起きるのは当然でした。権力構造の内部にいる一部の者だけが利益にあずかり、そうではない多くの国民は被害に遭うばかりとなれば、多くの国民が怒るのは無理からぬことでした。そこで鳩山政権として、事業仕分けを行い、子ども手当、高校授業料の無償化、農家の戸別所得補償、障がい者対策、地域主権、新しい公共などの政策を矢継ぎ早に打ち出しました。