飯田豊(立命館大産業社会学部准教授)

 箱根駅伝の成り立ちは大正時代までさかのぼるが、「国民的行事」あるいは「正月の風物詩」としてテレビで楽しまれるようになったのは、それほど昔のことではない。「マスメディアに媒介されたイベント」として箱根駅伝を捉えるならば、目まぐるしい変化の積み重ねによって、革新が伝統を創造してきたと言っても過言ではない状況が見えてくる。

 大会の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。報知新聞社が主催する「四大校対抗駅伝競走」として1920年に始まっているので、およそ100年の歴史がある。今年のNHK大河ドラマ『いだてん』の主人公で、日本マラソンの祖とされる金栗四三たちが、欧米の選手と肩を並べて活躍できる長距離ランナーの育成を目的に、東京箱根間の大学対抗駅伝の開催を思い立ち、報知新聞社に企画を持ちかけた。

 1920年の第1回大会は、往路が2月14日、復路が15日という日程で、選手は午前中に大学の授業を受けた後、13時にスタートした。箱根の山中を走る頃には日が暮れるので、地元青年団がたいまつをかざして選手を誘導したという有名な余話がある。

 駅伝は日本発祥の陸上競技種目であり、江戸時代に交通や通信の手段として整備された「宿駅伝馬制度」に由来する。読売新聞社の協賛記念事業として1917年、京都から東京まで23区間をリレーする「東京奠都(てんと)記念東海道五十三次駅伝徒歩競争」が開催されたのが、駅伝の始まりとされる。

 朝日新聞社が主催する「全国高等学校野球選手権大会」、いわゆる「夏の甲子園」の前身にあたる「全国中等学校優勝野球大会」が初めて開かれたのが1915年のことだ。このような大会を新聞社が主導してきたのは日本独特のことであり、各社が新聞読者を獲得するための事業戦略のせめぎ合いから、箱根駅伝は生まれたとも言える。

 そして戦時下、言論統制を目的とする新聞統合(一県一紙制度)によって報知新聞社と読売新聞社が合併し、箱根駅伝は戦後、読売新聞社が関東学生陸上競技連盟と共催する事業として発展することになる。

 それに対して、日本テレビによる完全生中継が始まったのは1987年のことであり、実は全国的な注目を集めるようになってから30年余りに過ぎないのである。
第63回箱根駅伝=1987年1月2日
第63回箱根駅伝=1987年1月2日
 箱根駅伝は戦後まで、ラジオで中継を聞くこともできなかった。NHKがラジオ放送に乗り出したのは1953年1月のことだが、現在は文化放送とアール・エフ・ラジオ日本もラジオ中継を行っている。

 1979年から1986年までは、テレビ東京(1981年まで東京12チャンネル)がダイジェスト番組を放送し、最終10区のみを生中継していた。NHKは年末年始恒例の中継番組が立て込んでいたので、放送機材を箱根駅伝のために集めるのが難しかった上に、箱根駅伝そのものが関東のローカル大会であったことも重なり、全国放送を躊躇(ちゅうちょ)させたのである。