社会を崩壊させたデマ


 「『チェルノブイリのヤツらがきた』と、避難所から出歩くと町の人がみんな逃げ出したよ」

インタビューに応じたイワンさん(左)。国の避難指示に反して、自宅に帰った(石井孝明撮影)
 1986年4月に起こった旧ソ連の原発事故。ウクライナ取材で話を聞いた77歳の農業、イワンさんは、当時の思い出をこう語った。この国はジョーク好きの人が多いが、この人も「この時は物がなかった。私たちが行くと店がガラガラになって、買うのに並ばなくてすんだのはよかったよ」と笑った。

 この事故は、情報が統制された警察国家のソ連で発生した。それがメディアで発表されたのは3日後。周囲の町や村では、人々が知らぬ間に高い放射線を浴びてしまった。一報の後も「事故は大したことない」「事故は収束しつつある」という「プロパガンダ」が流れた。当時の文献を読むと、政府当局者はパニックを起こさせないようにするために情報統制を行い、真実を隠蔽した。

 ところが、意図は裏目に出て、不安とパニックが広がった。今になれば冒頭の例は笑い話だが、当時、人にくっついた放射能が健康に影響すると人々が本当に信じるほど、放射能に無知だった。そして、人々は政府の言うことを信じなくなった。この不信が91年のソ連崩壊につながった面もある。

 不安とパニックは人々の健康にも影響した。旧ソ連諸国では事故直後に胎児への悪影響を恐れて妊婦の中絶が広がった。実数は不明だが、ウクライナで5000件ほどという推計がある。おそらく、その必要はなかったであろう。痛ましい話だ。

 2011年のロシア政府の事故25年の報告書では「放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限など社会的・経済的影響の方が、はるかに大きな被害をもたらした。社会混乱やストレスの悪影響は膨大なものになった」と総括した。

 そして、チェルノブイリには悪いイメージが定着してしまった。

 「気持ちの悪い場所。普通の人はいかない」。ウクライナの25歳の日本文学専攻の大学院生が語っていた。

 福島第1原発事故では、事故直後から4年近く経過した今でも健康について、過度に危険を強調する間違った情報が流通している。旧ソ連と違って自由に情報が流通しているのに、内外の専門家がそろって「福島で健康被害の可能性はない」と繰り返しているのに、不安は消えない。

 その理由はさまざまなものが重なっているが、主因の1つは、デマが大量に流れ、正確な情報が見えづらくなっていることにある。

 善意であっても無知ゆえにデマを広げてしまう人も多い。健康をめぐるデマは人を傷つけ、社会を壊す。情報は細心の注意で、扱わなければならない。その危険を日本人はチェルノブイリから学ぶべきだ。

人が住まねば復興はできない


 1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発(当時はソ連邦。現・ウクライナ)を訪問して印象に残ったのは、周辺に廃虚が広がっていたことだ。29年にわたって原発の周囲が避難指定され、一般の人は原則住めない。その結果、村や町が朽ち果てつつあった。

プリピャチ市の文化センター。近代建築の廃虚が広がっていた(石井孝明撮影)
 原発に隣接して建設され、事故で放棄されたプリピャチ市という町がある。80年代のソ連の雰囲気をタイムカプセルのように残したまま森に飲み込まれ、高層建築群が立ち並ぶゴーストタウンになっていた。周辺の村も外観を残したまま朽ちていた。いずれも不思議な光景だった。

 ソ連政府は原発事故後、荒っぽい対策を行った。原発の周囲30キロ圏の住民約11万人を一律避難させた。1年半後に移住者向けの都市を建設して希望者を移住させた。避難地域は人の立ち入る一部を除染した以外は放置した。ソ連は原則として土地は公有で、近郊は人口密度が少なかったために強制措置が可能だった。

 ソ連邦崩壊後に同原発のあるウクライナでは「チェルノブイリ法」がつくられた。そこで飲食物や土壌、空間からの被ばく量を計測して、居住地を決め直すとした。

 ところが、現地の科学者によると「法律は実際にはほとんど適用されなかった」という。検査は詳細に行われず、避難地域の再指定も行われなかった。ソ連崩壊後の90年代に、ウクライナは経済混乱に見舞われた。事故対策を丁寧に行う負担に耐えられなかったのだ。人のいなくなったまま避難対象の地域は放置された。

 かつてプリピャチ市に住み、地域の記憶を残す活動をしている38歳の男性の話を聞いた。

 「もう住むことはできないし保存も難しい。時間の経過とともに、建物も、人の絆も壊れることを、日本の皆さんに知ってほしい。福島原発事故の対応で、どの道を進むにしても早く方向を決めなければならない」

 筆者は福島第1原発を昨年春、福島の被災地は震災以降、何度も訪れた。避難指示区域では家が草木に飲み込まれつつあった。この地区が廃虚になる恐れと悲しみを抱いた。

 福島原発事故の対策では、除染の手間で被災者の帰還が遅れている。専門家は「現状でも原発事故の放射線による健康被害の可能性は極小だ」とそろって指摘しているにもかかわらずだ。

 もちろん帰還するかどうかの選択はそれぞれの住民の選択に任せるべきだが、今は一律に避難が行われ、その選択ができない状況にある。決断をせずに、ダラダラ先延ばしするのではなく、方向を決め、復興ビジョンをつくり、状況を先に進めなければならない。

 チェルノブイリ近郊の朽ちていくその地の町や村を見て、福島を29年後にこのような姿にしてはならないと筆者は願った。


石井孝明(いしい・たかあき) 
ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒。時事通信記者、経済誌記者を経て、フリーに。エネルギーや環境問題、安全保障、戦史の研究や取材・執筆活動を行う。アゴラ研究所運営のエネルギー情報サイト「GEPR」の編集を担当。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞)など。