石附弘(日本市民安全学会会長、元内閣官房長官秘書官)

 「Xデー」、それは111日目にやってきた。1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇の崩御である。

 あの日の小渕恵三官房長官による「平成の元号」発表(総理官邸記者会見室)の映像は、NHKニュースの視聴率が21%を超え、発表直後の読売新聞の電話調査で元号の好感度は61%を超えるなど、大変印象深く国民の目に映ったようだ。

 そして誰とはなしに小渕長官に「平成おじさん」の異名が付いた。この愛称には長官も苦笑されていたが、国民に元号への親しみを持って受け入れられていることを示すこれ以上の言葉はない。その後も再三放映され、今や平成時代の始まりを代表する映像になっている。

 実は、その元号が入った額を、会見場で小渕長官に手渡したのは、当時官房長官秘書官であった若き日の私であった。

 総理官邸の内閣官房長官には、政務と事務の秘書官が付く。当時、事務の秘書官は、大蔵、外務、警察出身の3人で21省庁を3分割し、国レベルで対応すべき事案について、いわば「官房長官の黒子」として補佐していた。

 例えば、官房長官には、政府の公式スポークスマンとして朝夕の記者会見を行うという重要な職責がある。内外で発生する事象に対して、政府の考え方を説明し記者からの質問に答える責務があり、秘書官はこの記者会見に備え、あらかじめ関係省庁から報告を受けたり、自らも関係情報を収集し長官と事前の打ち合わせをしたりする。警察庁出身の私は宮内庁を担当しており、頻繁に宮内庁と連絡を取り合っていた。

 そもそも、元号は誰が発表するのか、元号法に定めはない。「昭和」の際は、宮内省が発表した。国家の一大事として総理大臣会見という選択肢もあったと思うが、小渕長官が竹下登総理と相談され、「政府唯一の公式スポークスマンである官房長官」が発表すると決まったと聞く。

 そこで宮内庁担当であった私に「元号の発表方法を検討せよ」との下命があった。すわ一大事、大変な難問をもらったと思った。なぜなら先例がない。すなわち、明治天皇崩御から大正の時は新聞発表(ラジオがなかった)、大正から昭和の時はラジオ放送を使った発表であり、まるで参考にならない。テレビ時代にふさわしい元号の発表をゼロから考えなければならなかったのである。

 平成元号の制定手順や発表のあり方について調べていくと、下記のような課題があることが分かった。
 
①現憲法下、初の御代替わりに伴う元号であり、法令に定められた制定手続きを踏まえなければならない。
②先例のないテレビ時代の元号発表方法を考案しなければならない(映像を通じて国民に親しみを持ってもらえるような発表)。
③「元号」が有する歴史の重み(崩御という国民の深い悲しみの中で、新時代の幕開けにふさわしく、厳粛に、かつ格調高いものであることが望ましい)。
④「Xデー」に間に合うように極秘裏、かつ迅速に諸準備を進めなければならない。
1989年1月7日、元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官=首相官邸
1989年1月7日、元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官=首相官邸
 元号の字(縦書きか横書きか)、何に書くのか、見せ方などいろいろな選択肢があったが、①日本の筆の文化により墨書で縦2文字とし②揮毫(きごう)は河東純一(雅号は蜂城)氏(官房人事課所属で内閣組閣時に総理大臣等の辞令を書く書家で、後に「書の名人」として人事院総裁賞を受賞)が担当③元号を収める額は白木とすることが早めに決まった。そこで元号の揮毫者をご紹介いただき、揮毫と元号の額の扱い、記者会見室での発表のあり方までの流れを頭で描きながら検討を進めた。