「Xデー」の官房長官日程は、まさに分刻みというより秒刻みの超過密スケジュールであった。ご危篤(きとく)のお見舞い記帳、崩御の弔問記帳、「剣璽(けんじ)等承継の儀」参列等宮中関係の行事、また元号発表に先立ち、ご危篤や崩御の発表等総理官邸での記者会見(計5回)、崩御や元号制定のための一連の法的・事務的手続(事務次官会議、計4回の臨時閣議のほか、衆参両院や懇談会等多数)をタイムスケジュール通りに進めなければならない。

 長官が手際よく段取りを進めていただけるよう関係先と連絡を取りつつ、黒子の私は朝から水分摂取を自粛した。トイレタイムで長官にご迷惑をかけたくなかったのである。

 こうして、何とかつつがなく手順通りに粛々と一連の行事を終え、崩御から約8時間後の午後2時35分、ついに元号発表までこぎ付けた。「Xデー」という言葉の原義は軍事用語に由来するが、まさに危機管理作戦であったことを身を持って実感させられた。

 そして記者会見において、元号をどのように情報発信すべきかということも大きな難問であった。最悪のケースは額を天地逆に見せてしまうことであり、黒子としては切腹ものだ。これを回避するため、内政審議室から届けられた紫の風呂敷の固い結び目を解き、額を出して官房長官室で一度リハーサルを行ったことが懐かしい。

 次に、長官の胸元に額を立てるのか、両手で上に掲げるのか、左右に見えるように動かすのかなど、額の掲示方法についても長官番の記者や、官邸報道室はじめ多くの方から意見をいただき、長官に意見具申させていただいた。当時、お世話になった方には改めて感謝したい。

 ところで、長官からの二つの宿題はどうなったかと言えば、まず元号が発表前に漏れることはなかった。そして「平成」の元号については、多くの国民が「安定」「明るい」「発展」というプラスイメージの評価で直後の電話調査(読売)では好感度61%(非常に好感27%、多少好感34%)であった。この報告に、小渕長官もほっとされておられた。そのお顔は今も忘れられない。なお、1カ月半後の調査では好感度は69%にはね上がった。

 忘れられないのは、元号発表直後から官房長官(秘書官)のところに、複数の大臣や党の幹部など政財界の大物著名人から「記念にしたいので、ぜひ平成の揮毫をいただけないだろうか」との電話が鳴り続けたことである。ラジオ発表ではこういう現象は起こらなかったであろう。テレビの影響力を実感した瞬間でもあった。

 2019年5月1日に、皇太子様が新天皇に即位するのに伴い、元号が今、再び話題になっている。これを受け、国立公文書館は所蔵品の「平成」の書の「平成クリアファイル」グッズ化を決め販売を始めたところ人気上々だという。「平成」の人気、今昔物語である。
国立公文書館が販売している小渕官房長官が新元号の発表会見で掲げた「平成」の書のクリアファイル
国立公文書館が販売している小渕官房長官が新元号の発表会見で掲げた「平成」の書のクリアファイル
 当時、竹下内閣は、消費税の初導入と新元号制定という二大事業を成し遂げ、緊張の合間を縫って総理主催の官邸内幹部ら内輪の慰労会が行われた。その席上で竹下総理は、一国の総理たる気概・政治理念を熱く語った後、隣の小渕長官を見ながら「俺は消費税で『名』を残したが、この小渕は元号で『顔』を残した」と言って皆を爆笑させた。

 テレビでは連日、元号発表報道がなされ、小渕長官には「平成おじさん」の異名が付いていたことは先に述べた。鎌倉時代の説話集『十訓抄』に「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」とあるが、映像時代にあっては、「皮」と「名」に加え、「顔」も付け加えなければならないだろう。

■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である
■こうして元号は「時代を映す鏡」になった
■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった