後藤致人(愛知学院大文学部歴史学科教授)

 元号とは、漢字と数字を組み合わせて、天皇の在位期間を基準にした政治的紀年法の一つである。ただ、明治に一世一元制を採用する以前は、災異や大変革が起こるといわれる年「辛酉(しんゆう)革命・甲子(かっし)革令」に基づく改元があった。

 現在、元号は日本にしか存在しない。元号は、漢字と数字の単純な組み合わせではなく、そこに皇帝・天皇・国王の在位期間という要素が必要条件となる。元号とは、君主が時を支配するという思想に基づいた暦年法なのである。現在、漢字文化圏で君主制の残っている国は日本しかないため、元号もまた日本にしか存在していない。

 中華人民共和国では公暦を使っており、これは西暦と同じである。台湾では、民国何年という数え方をしている。漢字+数字なので、一見元号のようであるが、これは元号ではない。1911年の辛亥革命で清朝が滅び、中華民国政府成立した1912年から数え始めた年の数え方であり、君主制とは関係がないので、元号とはいえない。

 元号は、中国の漢代から始まっている。それが漢字文化圏に広がっていくのだが、日本では大化の改新で有名な「大化」から始まる。ただ、途中元号が建てられなかった時期があり、今日まで連続して元号が建てられるようになったのは、大宝律令で有名な701年の「大宝」が最初となる。律令体制は文書主義であり、文書に記述するため、より正確に時を記述する必要があったのであろう。

 朝鮮では、日本の大化の改新より約100年前から新羅(しらぎ)暦が存在していた。ところが、その後独自の元号は持たず、中国暦を使用している。これは、新羅は中国唐の力を借りて、悲願の朝鮮半島統一を成し遂げたことに由来している。

 唐を宗主国として立てる必要があり、そこから独自の元号である新羅暦を廃止したのである。以後、高麗(こうらい)王朝も朝鮮王朝も一時期を除いて独自の元号を持たず、中国暦を使用した。
「大化の改新」の孝徳天皇をまつる豊崎神社=大阪市北区(木戸照博撮影)
「大化の改新」の孝徳天皇をまつる豊崎神社=大阪市北区(木戸照博撮影)
 ところが、19世紀末に突如朝鮮暦は復活する。これには当時の国際状況の激変が背景としてある。19世紀後半、東アジア的な国際秩序が揺らぐ中で、ヨーロッパ的な国境概念が入ってきた。

 日本は明治維新後、ヨーロッパ的国境概念に転換するが、中国の清は伝統的な中華思想を維持し、内国とは別に、朝鮮やインドシナ、チベットは属国(朝貢国・藩部)として位置づけていた。

 この清による属国概念に、まずフランスが挑戦した。インドシナを舞台に清仏戦争でフランスが勝利すると、清による属国を否定した上で、インドシナを植民地とした。

 朝鮮半島では、日本がこの属国概念に挑戦し、1894~95年の日清戦争で勝利すると、下関条約で朝鮮の独立を清に認めさせた。その結果、1897年に清の属国ではない大韓帝国が成立し、元号も建てられたのである。