1896年、太陰太陽暦からグレゴリオ暦に転換するときに元号「建陽(けんよう)」が建てられ、清の元号から独立し、1897年大韓帝国成立とともに、「光武」に改元している。しかし、この大韓帝国の元号は1910年韓国併合によって消滅した。

 「満州事変」後に成立した満州国でも独立した元号が建てられている。1932年3月、満州国が建国され、清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)を「執政」の地位につけ、元号を「大同」とした。そして、1934年3月、溥儀が満州国皇帝に即位し、これをきっかけに元号を「康徳」に改元している。

 満州国は事実上日本が実権を握っている国ではあったが、植民地ではなく、君主制を敷いていたため、元号が時を数える暦年として存在していたのである。「康徳」は、満州国滅亡まで続いた。

 元号に使われる漢字には、時にメッセージが込められている。室町幕府15代将軍、足利義昭は、室町幕府の復興を祈念して「元亀」という元号を天皇に奏請している。

 しかし、織田信長はこの元号を嫌い、1573年義昭を畿内から追放し、事実上室町幕府を滅ぼすと、改元を促した。そして、信長の旗印「天下布武」にちなみ、「天正」としたのであった。

 幕末の元号にも、メッセージ性の強いものがある。ペリー来航以降の元号を並べてみよう。「嘉永(かえい)」・「安政」・「万延」・「文久」・「元治」・「慶応」・「明治」・「大正」・「昭和」・「平成」。どれが最もメッセージ性の強い元号か、分かるだろうか。
満州国建国   満州国皇帝・愛新覚羅溥儀(左)と乾杯する武藤元帥(右)
満州国建国 満州国皇帝・愛新覚羅溥儀(左)と乾杯する武藤元帥(右)
 「明治」は、その改元手続きが画期的であったことが知られている。明治天皇が東京へ行幸するのを前に、天皇代替わりに基づく改元を行うこととなった。このとき岩倉具視は一世一元を主張、あわせてそれまで行われていた公卿(くぎょう)による議論を繰り返す難陳(なんちん)という手続きの廃止を求めた。

 この提言に基づいて、文学・史学の漢籍を専門とする「文章(もんじょう)博士家」である菅原氏らの勘文(かんぶん)の中から、議定の松平慶永が2、3の良案を選定して上奏した。

 そして天皇は宮中の賢所(かしこどころ)でそれをくじで選び、明治の改元を行ったのである。天皇がくじで決めた元号というのは、このときをおいて他にない。ただ、「明治」という元号自体は、メッセージ性の強いものではない。

 元号に使う字は、何でもいいわけではない。もちろん縁起の良くない字は不可であるし、国や時代によっても使う漢字の傾向は異なっている。近世以降の日本では「長く、平和で、安定した世の中が続きますように」というニュアンスの文字が並ぶことが多い。