大本営発表はいまも


 
 危機管理や安全保障の法案が国会に提出されたときにだけメディアは集中的に報道して批判し、国民はそのリアクションとして反対行動を起こすが、その法案が成立するとすぐに何もなかったかのように忘れ去られ、既成事実化していく日本の危機管理。テロ対応や危機管理の問題をタブーにしてきたメディア、ジャーナリズムが、こうしたテロリズムの議論を消費の対象に囲い込んできたという問題と結びついている。

  こうして腰を据えた本質的な議論を避けてきた結果が、イスラム国邦人人質事件に対する日本政府の対応にも表れている。法制度を形だけ整備しても、それを運用する組織や能力が追いついていないのである。

  危機管理や有事をメディアや大学がタブー視したことで実際の整備が遅れているという事実に対して、メディア報道や大学教育は責任をとるどころか、この状況に全く気づいていないように見えることが、日本の現代の危機の形である。

  テロリズムや戦争といった政治的危機をどのように報道すべきか、メディアと政府の間で直接向かい合った議論が必要な時期を迎えている。メディア報道、ジャーナリズムこそが、権力の監視機能を担う民主主義にとって不可欠な要素であると認識するがゆえの提案である。

  すでに現在のテレビや新聞などのマスメディアの報道機関は、テロリズムや戦争などの政治的危機の報道において機能硬直に陥っている。

 たとえば、テロリズムや戦争といった危機事態においては一次情報のソースが政府に偏るため、マスメディアは政府の記者会見における発表情報に報道を依存せざるを得ない。この状態は「発表ジャーナリズム」という表現で批判されるが、これは太平洋戦争時代の大本営発表と基本的に同様の問題を抱えている。マスメディアはポーズとしての権力監視を看板に掲げていても、現状を改善しようとしない態度がこの実態を隠蔽している。


進んでいる欧米の議論


 
 また、戦争や紛争などに関するマスメディア報道は、現地に入ったフリージャーナリストに依存せざるを得ない状況である。これは企業としてのコンプライアンス上、生命の危険がある地域に自社の記者を派遣できないとするマスメディアの対応からくるもので、「コンプライアンス・ジャーナリズム」と呼ぶべきものである。

  その結果、戦場に入って報道するのはフリージャーナリストが中心となり、戦争、紛争やテロリズムの犠牲となる構造が発生している。今回のイスラム国邦人人質事件にも、このような事情が背景にある。

  このように、テロリズムの問題をメディア、ジャーナリズムが克服するためには、数多く存在する問題を解決しなくてはならない。

会見を開き、イラクで日本人がテロリストに拘束されたと発表する福田康夫官房長官=2004年4月7日、首相官邸
  戦争やテロリズムなどの安全保障問題に関して、メディアと政府がどのような関係を構築すべきかについて欧米ではさまざまな研究や議論がなされてきたが、長年タブー視されてきた日本では議論が進んでいない。

  危機事態における政府とメディアの関係には、①政府による検閲、②政府とメディアの調整、③メディアの自主規制の三パターンが存在する。

  現代において、①検閲は北朝鮮や中国のような一部の国々、強権国家にしか存在しない。②政府とメディアの調整に関する代表例は、イギリスのDAノーティス制度(Defence Advisory Notice)である。

  イギリスは戦争やテロリズムといった安全保障に関する報道に関してDAノーティスという制度を持っており、DPBAC(Defence, Press and Broadcasting Advisory Committee)という組織にBBCなどのテレビ局、デイリー・メールやガーディアンなどの新聞社、通信社やネット業者が参加し、国防省などの政府機関とともに安全保障に関する報道内容を検討して調整するという制度を1912年の第一次世界大戦以前から百年以上、維持してきた。

  また、③メディアの自主規制の代表例はアメリカであるが、アメリカの新聞社やテレビ局などのマスメディアには、テロリズムについてどう報道するか、戦争における報道のあり方について膨大な報道ガイドラインが構築されている。

  これは第二次世界大戦後、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争など数多くの戦争を経験し、TWA847便ハイジャック事件やイラン米大使館人質事件など、数多くのテロリズムを経験してきたアメリカのメディアが歴史的に構築してきたものである。その歴史のなかで、アメリカはペンタゴン・ペーパー事件のような政府とメディアの対立を克服してきた。


テロ報道体制の構築を


 
 イギリス的な②政府とメディアの調整による協調・調整型を目指すべきか、アメリカ的な③メディアの自主規制による対立・克服型を目指すべきか、テロリズムや戦争など安全保障をめぐる政府とメディアの関係において、日本型のシステムが求められている。

  残念ながら、日本にはイギリスのような調整型の制度も、アメリカのようなメディアの重厚な報道ガイドラインも存在していない。イギリス型を目指すべきか、アメリカ型を目指すべきか、または日本独自のシステムを構築するか、テロリズムや戦争などの危機管理をめぐる政府とメディアの議論を始めなくてはならない。

  テロリズムの問題という一点をみても、日本の危機管理体制構築、研究としての危機管理学の構築は遅れていると言わざるを得ない。テロリズムや有事、危機管理の問題を決してタブー視することなく、民主主義におけるシヴィリアン・コントロールの観点からテロリズムの問題を考えるところから、オールハザード(ありとあらゆる危険を想定)で日本の危機管理を考察し、体制を構築すること、さらにはそれを研究する危機管理学の構築が求められている。

 〈参考文献〉福田充『メディアとテロリズム』新潮新書(2009)、福田充『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』慶應義塾大学出版会(2010)

ふくだ みつる 1969年生まれ。日本大学大学院新聞学研究科、日本大学法学部教授。東京大学大学院・博士課程単位取得退学。博士(政治学)。コロンビア大学戦争と平和研究所客員研究員等を経て現職。専門はテロや災害など、メディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。著書に『メディアとテロリズム』(新潮新書)など。