山田順(ジャーナリスト)

 なぜ、横綱稀勢の里はこんな「悲劇的な引退」に追い込まれたのだろうか。そして、この引退によって、大相撲はどう変わっていくべきなのか。本稿ではそれを考えてみたい。

 まず、私が言いたいのは、この前代未聞の引退劇は、久しく誕生しなかった「日本人横綱」を望んだ日本社会全体のムードがつくり出したものだということである。それを煽ったのはメディアである。

 実直で、ガチンコを貫いてきた稀勢の里は、こうした世間のムードを受け止め、最後までその姿勢を崩さず、花が散るように終わってしまったといえるだろう。その意味で、彼の引退はこれまでのどの横綱の引退とも全く違うものになってしまった。

 今思うのは、なぜもっと早く引退しなかったのか。言い方を変えると、引退させてあげなかったのか。そうすれば、横綱らしい花道を飾れたのではないかということだ。

 稀勢の里を一言で言えば、平成の「バブル横綱」である。バブルと言っても、それは本人のことではない。なぜなら、後世に「平成の大横綱」と言われるに違いない白鵬とは、ガチンコで渡り合って常に名勝負を演じてきたからだ。稀勢の里は、横綱としての実力を十分に備えていた。

 それは、引退を知った白鵬のコメントに表れている。白鵬は稀勢の里との思い出について問われると「それは63連勝で止められたときですよ」と即答した。「あの黒星があったからこそ、私も頑張れたんです」とも言った。横綱双葉山の69連勝に迫っていた63連勝ばかりではない。稀勢の里は歴代5位となる白鵬の43連勝もストップさせている。こんな力士はいない。
2017年1月、大相撲初場所千秋楽で横綱白鵬(右)をすくい投げで破った大関稀勢の里。前日に決めた初優勝を白星で締めくくった=両国国技館
2017年1月、大相撲初場所千秋楽で横綱白鵬(右)をすくい投げで破った大関稀勢の里。前日に決めた初優勝を白星で締めくくった=両国国技館
 では、なぜ私は稀勢の里を「バブル横綱」と呼ぶのか。それは、彼が横綱になった背景に、長引く不況や経済低迷で自信を失った日本人の「もう一度」という思いがあったからだ。稀勢の里を横綱にしたのも、満身創痍(そうい)の中で横綱を続けさせたのも、この日本人の叶わぬ思いである。

 「なんとか頑張ってほしい」「まだやれる」とワイドショーをはじめとして多くのメディアが、稀勢の里の一大応援団になった。日本人なら、ただ一人の日本人横綱、稀勢の里を応援しなければいけない。そんなムードが醸し出され、バブルは過熱した。