ろくでなし子(漫画家、芸術家)

 まんにちは。まんこアーティストのろくでなし子です。つい先日、『週刊SPA!』の特集記事「ヤレる女子大学生RANKING」がネット上で女性蔑視として問題となり、国際基督教大(ICU)学生らが抗議の署名活動をしたことが話題になりました。

 同じ女子大生として不名誉に感じたのであれば、抗議する自由や権利は当然あります。「ヤレる女」という言葉に、女性をモノのように考える男側のさげすみを感じます。「ヤるかどうかはワイが決めるわ!」と、わたしでさえ言いたくなります。

 ただ、その署名活動は謝罪要求にとどまらず、出版取り下げや「週刊誌および出版社による、女性の差別用語、軽視する発言を今後一切やめる」こととあり、あまりに短絡的に感じました。さらに、この署名活動にフェミニストを名乗る人たちが少なからず賛同していたことに、同じフェミニストであるわたしは非常にモヤモヤとしました。

 昨今は性暴力被害を告発する「#MeToo(私も)」運動が世界的に盛んです。つい最近も、国内で人権派ジャーナリストの性暴力が発覚しました。

 フェミニストが女性差別や性暴力に敏感となり、抗議が活発化するのは分かります。

 しかし最近の彼女たちは、少しでも性の臭いがするものに対し拒絶反応を示し、女性を「性嫌悪」へ導く活動家のようにも見えます。

 本人たちがフェミニストを自称している限りわたしは否定しませんが、「女は貞淑であれ」「ふしだらな女はよくない」とする男性社会の古い価値観に中指を突き立てて来たのが我々フェミニストのはずじゃなかったの…?と疑問に思うのです。

 「ヤレる女」といえば、まんこアーティストのわたしこそ、そんなイメージを世のおじさんたちから持たれ続けてきました。

 当のわたしはまんこをモチーフにはしていても、バカバカしくて笑える作品や、まんこをいやらしいモノのように見るおじさんたちのちんこを萎えさせる代物を作って来たので、甚だ心外です。

 しかし、まんこをデコったりジオラマを乗っけたり、ボートにして川でこいでみても、まんこがいやらしいイメージのまま思考停止している人には「いやらしい事をしている女」→「ヤリマン」となる訳です。

 わたしが実際に特定多数の異性と性行為をする「ヤリマン」かと言えば、むしろ「まんこまんこ」言う変な女はドン引かれ、好意を寄せる人からはことごとくセックスをお断りされるマンでしたが、それはさておき、まんこアートを即セックスに絡められる事に、当時はいちいち腹が立ったものでした。

 しかしそんな時、ある人に「まんこをセックスと結びつけて何が悪いの」と言われてはっとしたのです。

 確かに、セックスはまんこを使ってするものだから結びつけられて当然なのに、なぜわたしはこうも屈辱に感じるのか? それは、わたしが心の底ではセックスを汚らわしい事、良くない事だと思っているからでは…?

 つまり、「ふしだらな女はよくない」とし、女性を性嫌悪へと導く男性社会の価値観に、女でありフェミニストのわたしがまんまと乗っかってしまっていたわけです。
裁判の閉廷後の会見に臨むろくでなし子氏=2016年5月、東京都千代田区
裁判の閉廷後の会見に臨むろくでなし子氏=2016年5月、東京都千代田区
 それに気づいてからは、わたしを「ヤリマン」と思って近づいて来る人には、「バカな人だなぁ…」と思いこそすれ、怒ることはなくなりました。

 だってわたしがヤリマンであろうがなかろうが、わたしは男の物差しでは生きていないからです。

 そんな訳で、あの署名活動に賛同するフェミニストたちには、かつての自分のようだからか、すごくモヤモヤしたのです。