もちろん冒頭でも触れた通り、「ヤレる女」という言い方が女性をモノ扱いしていて不愉快だ、という意見には同意です。あるフェミニストが「ヤリマンを否定しているのではない、ヤルかどうかは女性本人が主体的に決めるべきなのに勝手に男性に決められることに抗議している」とわたしに言ってきました。

 それはフェミニストの主張としては一見、正しく見えます。ですが、それなら「抱かれたい男ランキング」にも、「女が男に『抱かれる』など、女性を受け身的に捉えて主体性を奪う言い方で不愉快だ!『ヤリたい男』と言い換えろ!」と怒るべきだと思うのですが、そんな声が上がったのを今まで聞いたことがありません。

 それに、「私は自分でヤリたい人を選んで決める、誰にでも股(また)を開く女ではない!」と主張することは、誰にでも股を開いてしまうヤリマンを低く見ていることになりませんか? なぜ、女性が主体性なく股を開いたらダメなのでしょうか?

 「そんなセックスは後悔する、男に利用されてはダメだ」と言うフェミニストもいますが、それは女性を弱くてかわいそうな存在とみなして「ふしだらな女になるな」と呪いをかけることになりませんか?

 そう言うと、「性病がマン延するし、望まない妊娠で傷つくのは女性だ」と返ってきそうですが、だからこそ、まんこをタブーにせず、子供達から性を遠ざけコンドームの使い方すらろくに教えて来なかった日本の性教育を変えるべきではありませんか?

 フェミニストなら、主体的なヤリマンだろうが、流されやすいヤリマンだろうが、女性がセックスに奔放なことを世間が見下す風潮そのものに「NO(ノー)」を突きつけるべきではないのでしょうか?

 大体、女性をモノ扱いする表現ばかりがやり玉に挙げられますが、女性が男性をモノ扱いする表現も、世の中にはたくさんあります。

 父親や配偶者をバカにする女性や、無職や低収入の男性をバカにする女性を実にたくさん見かけます。

 男性をATM(現金自動預払機)扱いするような下世話な女性向け雑誌もコンビニでよく見かけます。ツイッターでは「金玉潰してやる」など、過激なツイートをする自称フェミニストも、つい最近までいました。わたしだって、まんこアートに怒るおじさんや警察をバカにして漫画にもしました。つまり、お互い様でしょう。

 誰かにとって不快な表現が消されていく世界になったら、フェミニストが男性の悪口を堂々と言う事も許されなくなります。

 わたしはこれからもまんこアートに怒るおじさんたちをからかう作品を作りたいし、言いたいことを言いたい。上のお口も下のお口も誰かに封じられたくありません。

 繰り返しますが、あのランキング記事に怒りたい女性は好きなだけ怒ればいいと思います。「ふしだらな女」を不名誉に思う人の自由や権利も当然あります。

 ですが、フェミニストであるわたしは、出版取り下げなど表現の自由の範囲まで過剰に要求するあの署名活動には賛同しません。

 わたしなら、「男に利用されるな」と言って女性の自由を制限せず、「女がヤリマンで何が悪いのか」と声を上げ、性表現やセックスを楽しむ女性に不利益が生じた時には一緒に怒って抗議します。そして、子供達と真面目に性の話ができる社会を、上のお口も下のお口も封じ合わずに誰もが言いたいことを言える社会を目指します。
※画像は本文と関係ありません(GettyImages)
※画像は本文と関係ありません(GettyImages)
 ちなみに、この件で興味深いのは、このようなフェミニスト批判をツイートしていると、件(くだん)の署名活動に賛同しているフェミニストからの反論があるのはもちろんですが、なぜか日頃フェミニストを嫌うおじさんたちからも批判を多く受ける事でした。

 わたしが批判するフェミニストたちは、やはり「ふしだらな女」を許せない、おじさんたちと気が合うのかもしれませんね。

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