SNS上でセクハラ体験などを告白するために利用され、今ではその言葉が象徴となった「#MeToo(私も)」運動や、大学の医学部入試における女性差別問題など、現代社会は女性差別に対して非常に敏感である。このことを踏まえれば今後、表現の自由という点で、男性週刊誌で語られる女性にまつわる記事は主な読者である男性だけでなく、女性読者も意識する形で書かれていくことになるかもしれない。

 果たして、週刊誌にそこまでの純潔性を求めてよいのだろうか。表現の自由を大義名分に人を傷つけることは間違っているが、記事の検閲による言論統制よりも、今回声を上げた女子大生たちのように、読者側が正しい情報リテラシー(活用能力)をもって能動的に行動することこそ、ネット社会を生きる私たちへの課題なのではないだろうか。

 ただ、男性週刊誌は決して男性読者だけを意識し、彼らが喜ぶ記事だけを書いているわけではない。筆者は『週刊SPA!』2017年5月30日号に掲載された「男性記者が実体験-オンナは大変だった!」と題した企画に識者として参加し記事を書いた経験がある。その際、男性記者が女性側をもっと理解しようと恥を忍んで女装や脱毛体験をするなど、取材を通して編集部の熱い思いは十分感じられた。

 男性の妊娠体験を扱ったこの記事を読んだ筆者の周囲の反応は、性別や年齢によって意見は分かれるものの、女性の反応が年齢を問わず好意的であったことを今でも覚えている。また、筆者を取材した記者が女性であったことを考えると、男性週刊誌の作り手が必ずしも男性であるとは限らないことも忘れてはならない。

 男性が男の沽券(こけん)を捨てて女性体験をする話には好感が持て、男性が因習的な立場から女性を見下す類いの話には反感しか持てない、といった風潮の行きつく先は、味方以外はすべて敵とみなす分裂社会である。

 筆者は、本稿を書く上で、「ヤレる女子大生」と一緒にされた女性たちの悲痛な思いは十分理解している。また、彼女たちの抗議が社会の在り方を変えていくとも信じている。

 ただ、『週刊SPA!』はグラビア写真やセックスに関する記事を扱う男性週刊誌であり、男性の真情を吐露するという点において、必ずしも女性差別的な姿勢を貫く週刊誌ではないことも忘れてはならない。むしろ、女性を性的な対象として見る男性側の「欲望の論理」がいかに単純で、時として偏狭的であるかという自明の事実を、「ヤレる女子大生」記事は改めて示してくれているのではないだろうか。

 男性側からの本音によって傷つけられた女子大生側に立ち、女性差別という名の下、男性批判を展開する世論の声は、「男性たちよ、表面的でいいから女性を優遇し守る姿勢を持とうよ」と、見せかけだけの女性擁護へとつながりかねない。
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
 さらに、日本の男性学をけん引する大正大心理社会学部の田中俊之准教授がしばしば用いる「男がつらいよ」という言葉が象徴するように、男性受難の時代を訴える「プロ・フェミニスト」男性たちの間から、「なぜ男性というだけで、女性を蔑視する者であると決めつけられなくてはならないのか」といった反発の声が上がる可能性もある。結果、それは逆差別問題へと発展し、男女の間の溝は深まるばかりである。

 今回の「ヤレる女子大学生RANKING」で、ヤレる女性の特徴として、髪形やメーク、服装が事細かに挙げられていたが、『週刊SPA!』ではしばしば、「ヤレる統計学」といった、女性との性体験が豊富な男性たちの実体験をもとに特集が組まれることがある。そこでは、男性が惹(ひ)かれる女性の身体的特徴として、髪形や服装といった「記号」で女性たちがカテゴライズされている。