前出の米ウィスコンシン医大の研究チームで、全遺伝子シーケンスにより発見された約5千の変異を半年間かけて、XIAP遺伝子の変異が原因であることを突き止めたのは、リズ・ワーシー氏だ。

 同氏は2017年3月に東大医科学研究所を訪れ、講演している。彼の講演に参加した井元清哉・東大医科研教授は「(冒頭に紹介したパネルシークエンスも全ゲノムシークエンスも)両方をやっている彼らが、全ゲノムシーケンスを推奨していたのは示唆に富みました」という。

 実は、パネルシーケンスは、半分以上の関連遺伝子を見逃してしまうことが分かっている。全ての遺伝子を解析できる全ゲノムシーケンスや全遺伝子シーケンスと、特定の遺伝子だけを解析するパネルシーケンスのポテンシャルの差は明らかである。

 世界では、ゲノムにとどまらず、全クリプトーム(全転写産物、RNAのこと)解析の臨床応用が始まっている。昨年12月、米ニューヨークゲノムセンターは、全ゲノム解析と全トランスクリプトーム解析を組み合わせたサービスを開始すると発表した。

 一方で、パネルシーケンスがようやく承認される見通しとなったわが国は、世界の最先端から「周回遅れ」と言っていい。遺伝子修復ベビーが批判を浴びた中国は、この分野で最先端を走っている。今後、この差はますます広がるだろう。その理由は二つある。

 まずは、個別化医療の推進に必須な「情報工学者」の不足である。今や世界のゲノム研究を推し進めるのは、医師ではなく情報工学者だ。

 既に知られた遺伝子変異に対しては、それに対する治療法も決まっており、どの医師でも判断できる。しかし、それ以外の遺伝子変異が見つかった場合にどう対処するのか、医師だけでは判断できない。その遺伝子の役割、変異によって引き起こされる病態について、あらゆる論文データを検討しなければならないからだ。

 わが国のゲノム研究の中心は、理化学研究所と東大医科学研究所のチームだ。現在のリーダーは情報工学者である宮野悟・東大医科研ヒトゲノム解析センター長だが、2013年には従来の治療が効かない白血病患者の全遺伝子を解読し、IBMの人工知能ワトソン(質問応答システム)を用いて、患者に最適な治療法を提案した。
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
 この患者の治療は劇的に反応した。これは「人工知能が救命した最初の患者」として報じられたが、このプロジェクトをリードしたのが宮野教授である。前出の井元教授の上司でもある。宮野教授は九州大を卒業した数学者であり、井元教授も九大を卒業した統計家だ。

 2人とも医師ではない。今後、個別化医療の研究を進めるには、情報工学の専門家と医師が協同しなければならない。ところが、医学部や医学系研究所における情報工学者のポストは圧倒的に少ない。財政難の国立大学で、医学部に情報工学者のポストを新設するのは難しい。医学部と情報系の学部の交流を加速させるしかないが、昨今の不祥事をみても明らかなように医学部は閉鎖的だ。現状では難しいと言わざるを得ない。