上久保誠人(立命館大政策科学部教授)

 細野豪志衆院議員が、自民党の二階俊博幹事長が率いる二階派(志帥会)に「特別会員」として入会する。選挙区の静岡5区には岸田派(宏池会)の自民党元職がいるため、今すぐではないが、将来的には自民党入りを目指すという。

 細野氏は、民主党政権で環境相や首相補佐官を務め、野党転落後も民主党幹事長や、後継政党の民進党で代表代行を歴任してきた。2017年に離党した後は、東京都の小池百合子知事らと希望の党を立ち上げたが、希望の党は先の総選挙で惨敗した。

 18年5月に希望の党と民進党で結党した国民民主党には参加せず、無所属となっていた。その経歴から、細野氏の「事実上の自民党入り」は「節操がない」と厳しく批判されている。

 また、「来るもの拒まず」のスタンスで自民党議員でない人を「特別会員」にして、次の選挙で当選すれば自民党議員に鞍替えさせる手法で勢力を拡大してきた二階派に対しても、党内から反発が集まっている。

 かくいう筆者も、細野氏と二階氏の「節操のなさ」には閉口している一人である。一方で、細野氏を「かわいそうだな」とも思っているし、二階氏についても「生き馬の目を抜く政界で、そういう情のかけ方があってもいい」とも考える。

 細野氏のこれまでの言動を振り返ると、「行き場のない状態」になって節操なく迷走を繰り返した挙げ句に自民党に走ったという指摘は、まさにその通りである。だが、それ以前の問題として、細野氏はずっと自民党に入りたかったのではないだろうか。

 細野氏はサラリーマンから政界に転じ、2000年の衆院総選挙では、旧静岡7区で自民党の現職と保守系無所属の候補者などを破って初当選した。03年の総選挙では、区割り変更で静岡5区となったが、ここでも自民党現職を破った。それ以降も連続当選を重ねて「民主党のホープ」として政界の出世街道を駆け上がった。

 細野氏の政界入りには、京都大学の先輩である前原誠司元外相が関わっている。だが、もし細野氏が立候補しようとした選挙区に自民党系候補者が2人も立たず、かつ自民党の公認を得られる可能性があったならば、細野氏は前原氏との関係にかかわらず、自民党からの出馬を模索したのではなかったか。
2017年10月、衆院選の開票で記者会見に臨む希望の党の細野豪志氏(酒巻俊介撮影)
2017年10月、衆院選の開票で記者会見に臨む希望の党の細野豪志氏(酒巻俊介撮影)
 そもそも、細野氏を政界に引っ張った前原氏自身が、保守派論客として知られている。しかし、彼の政界入りも、実は自民党からの立候補が叶わなかったため、細川護熙元首相が立ち上げた日本新党から出馬したという経緯があった。

 前原氏が政界入りしたのは1993年の総選挙で、自民党の38年間の長期政権に幕を下ろし、非自民の連立政権である細川政権が誕生した時であった。当時、自民党の長期政権に対する批判が高まり、「政治改革」が一大ブームを巻き起こした。