こうした象徴天皇制や天皇に対する新たなイメージの定着には、マスメディアの影響も大きかった。マスメディアは天皇制を存続させるべく、敗戦直後から天皇の「民主的」なエピソードを積極的に描いた。

 また、戦前では低かった皇室記者たちへの扱いが、戦後になって大きく変わったことは、彼らにとって「民主化」を実感する契機ともなった。そして、そうした感情を基にした記事を量産していく。そのため、国民に「民主的」な象徴天皇像が定着したのである。

 そのマスメディアも、経済成長に伴う大衆化や消費化が進む状況の中で、象徴天皇制をより民主的な側面から取り上げる記事を執筆していく。その頂点が、明仁皇太子と正田美智子さんによる1959年の「皇太子ご成婚」であった。

 マスメディアに大きく取り上げられた2人の「恋愛結婚」は、まさに日本国憲法の理念との親和性を表現するものであった。それまでは、元皇族や元華族との結婚が噂されていた皇太子が、自分の意志を貫いて「平民」出身の正田さんと結婚することに、若い世代の国民は喝采を寄せた。国民はマスメディアで報道される美智子皇太子妃を歓迎し、「ミッチーブーム」となった。

 そして、象徴天皇制は一つの到達点を迎えることとなる。この年を契機に、国民の中でも見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したという。皇族の結婚が国民のモデルともなったのである。

 こうした傾向は、平成に入り、徳仁皇太子や秋篠宮の結婚にも継続していく。平成の象徴天皇制は「開かれた皇室」といわれ、国民により近しい形へと変化して支持を得ていったこともあり、天皇や皇族もそのように行動していった。

 2人の男性皇族の結婚も「恋愛結婚」として、マスメディアで大きく報じられ、国民からの支持を受けていった。国民に近しい「モデル」としての皇室が、象徴天皇制であったのである。

2018年2月、ご婚約の延期発表から一夜明け、自宅マンションを出る小室圭さん。心境を尋ねる質問には応じず、タクシーに乗り込んだ
2018年2月、ご婚約の延期発表から
一夜明け、自宅マンションを出る
小室圭さん。心境を尋ねる質問には応じず、
タクシーに乗り込んだ
 秋篠宮眞子内親王と小室圭さんとの「婚約内定」もこの延長線上にあった。2人は、国際基督教大学(ICU)の同級生として出会っており、まさにそれは宮内庁や誰かに選定されたものではない「恋愛」であったと考えられる。それは、国民の支持を受けてきた現在の象徴天皇制そのものでもある。

 これを否定することは、現在の皇室のあり方自体を否定することにも繋がるのではないか。また、日本国憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」することにも、抵触することになろう。

 親の金銭問題によって、2人の仲が裂かれることが、果たして現代社会にふさわしいのであろうか。そうではないだろう。一方で、国民の支持を調達することを基盤としてきた象徴天皇制において、文書一枚で「法律的に解決した」と述べるだけでは、やはり国民の納得を得られないようにも思われる。小室さんには、その点が求められているように思う。