島根県議会が「竹島の日」条例を制定し、「竹島の領土権確立」を求めたのは、日本海が乱獲の海と化したからである。だが、日本の外相と外務省高官は、「竹島の日」条例の制定を自粛するよう島根県に求めた。

 これと対照的だったのが韓国政府だ。当時の盧武絃(ノ・ムヒョン)大統領は「竹島の日」条例が成立する直前、「歴史・独島問題を長期的・総合的・体系的に取り扱う専担機関の設置」を指示し、その後「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団」を発足させ、2006年には、政策提言機関としての「東北アジア歴史財団」に改組した。

 この「東北アジア歴史財団」では、不法占拠中の独島(竹島)を死守するため、慰安婦問題や日本海呼称問題を使い、国際社会を舞台に、日本批判を繰り広げたのである。その中には、韓国系米国人が多く住む地域に慰安婦像を建て、「東海併記法案」(日本海呼称問題)では、韓人会とともにバージニア州議会の議員の協力を得て、成立させたものもある。

 日本では、米国内やフィリピンなどで慰安婦像が建つと、にわかに抗議をしてみるが、それは逆効果である。「東海併記法案」の成立を阻止するため、日本政府は巨額のロビー費を議会工作に使ったとされるが、このロビー活動がひんしゅくを買って、逆に「東海併記法案」の成立を早めたという。

 このように日本の外交は、戦略なき戦術の域を出ていない。これは尖閣諸島問題も同じである。尖閣諸島の近海には中国の公船が出没し、中国漁船による不法漁労が行われている。日本政府は、その中国を牽制するため、「日台漁業取り決め」を結んだが、新「日韓漁業協定」同様、日本漁船が締め出されてしまった。これが日本外交の現実である。

 これを戦略的な韓国側と比較してみると、決定的な違いがある。韓国には、先に記したが、政策提言をする「東北アジア歴史財団」があり、その理事長は閣僚級で、歴代、歴史研究者が就いている。その補佐役の事務総長には、外交経験のある人士が選ばれ、次官級である。一方、日本には沖縄北方担当大臣がいて、「領土・主権対策企画調整室」があるが、政府の施策を業者か外部の研究機関に委託し、研究者がその下請けで作業をしている。これでは戦略的な対応は、無理である。

 北方領土問題の発端は1945年8月9日、「日ソ不可侵条約」を一方的に破ったソ連(現ロシア)が南樺太に侵攻し、千島列島の占守(しゅむしゅ)島に上陸するのは、日本が「ポツダム宣言」を受諾した後である。ソ連が北方領土を奪ったのは9月5日。日本が主張しなければならないのは、北方領土の帰属だけではない。

 敗戦国の日本は戦後、東京裁判で裁かれた。だが、日本を裁いた「極東国際軍事裁判所条例」では、「平和に対する罪即ち、宣戦を布告せる又は布告せざる侵略戦争、若は国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は遂行、若は右諸行為の何れかを達成するための共通の計画又は共同謀議への参加」と規定している。
(ゲッティ・イメージズ)
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 ソ連の参戦は、米国のルーズベルト大統領とスターリンの間で密約がなされ、「ヤルタ会談」で決められた。「平和に対する罪」は、敗戦国ばかりが問われるべきものではない。日本がまずすべきことは、ソ連参戦の歴史的事実を明らかにし、国際社会に周知することである。

 領土問題は決して拙速にするものではなく、たとえ100年、200年かかろうが、持続的に研究を続け、交渉に臨める国際世論を味方につけてからでも遅くはない。