小西寛子(声優、シンガーソングライター)

 明代の中国に書かれた伝奇小説「水滸伝」に、魔王が封印された祠(ほこら)が登場する。

 周囲を赤い土塀で囲み、軒先には金文字で「伏魔之殿」と書かれた看板が掲げられてあった。正面の扉には護符が何枚も張られ、銅で固めた錠前が付いており、中の社殿には3メートル四方の巨大な一枚岩が鎮座し、その下は底なしの深い穴になっていたという。唐の昔、道士、洞玄国師がこの穴に魔王を封じ込め、そこに建立したのが「伏魔殿」だった、という有名な逸話である。

 魔王が封印された場所ということから、伏魔殿は「悪魔がひそむ殿堂」の意、転じて「陰謀・悪事などが絶えず企まれている所」などとされ、過去には田中真紀子元外務大臣や石原慎太郎元東京都知事がこの言葉を引いて、政治発言したことでも知られる。昨今では、PTAを「伏魔殿」になぞらえて報道するメディアもある。

 ちなみに水滸伝は、都から来た官僚がこの祠を強引にこじ開け、魔王が世に解き放たれるシーンから始まる。後に悪徳官吏の打倒を目指し、梁山泊に集った108人の豪傑もここから生まれたが、現代社会では世に害をなす魔王は、むしろ「世に放つべき」モノとして、その悪事を世に広く知らしめる動きが盛んだ。セクハラや性暴力を告発する「#MeToo運動」が欧米で席巻したのは、その象徴とも言えるだろう。

 日本では今ひとつ盛り上がりに欠ける#MeToo運動だが、かくいう筆者も過日、「NHKおじゃる丸降板騒動」で、#MeTooに絡めた問題として記事に取り上げられたことがある。とはいえ、欧米と比べ、日本では弱い立場の女性に対するハラスメントの温度差の違いをまざまざと痛感することが多い。

 筆者の仕事は、アニメーションなどのキャラクターに声を当てたり、ナレーションを吹き込んだりする、いわゆる「声優」という職業である。自分で言うのもなんだが、筆者が声優として全盛だったのは二十歳前後の頃であり、この話は今から20年も昔の話だが、実は声優業界でも会社の飲み会や慰安旅行のようなものがあり、番組スタッフや共演者などと飲み会や旅行に行くことがしばしばあった。
声優の小西寛子氏
声優、シンガーソングライターの小西寛子氏
 信じてもらえないかも知れないが、筆者はどちらかと言えば口下手で人付き合いは苦手な方である。それなのに役者や音楽をやっており、何を血迷ったかテレビの司会やバラエティー番組のレギュラーまで担当した経歴を持つ。読者の皆様にはちょっと理解できないかもしれないが、本当は人前に出るのは苦手で、番組出演はいつも「度胸試し」のような感覚だった。

 さて、今から20年前の当時、どの現場でも筆者がほぼ最年少だった。にもかかわらず、急にスタッフとの慰安旅行に誘われても、「どうすりゃいいの?」という感じだったが、それでも周りの雰囲気というか、見えない重圧をひしひしと感じて、せめて「お世話になっている方々への感謝の気持ちから、顔だけでも出さなければ」と何度か顔を出したことがある。